母娘、夏の欧州旅行記(4)

― 仏蘭西篇(後) ―









前回までのあらすじ:大都会・パリにたどり着くも、スリに怯えすぎて緊張の母とパリジャンに圧倒される娘。今日はいよいよツアー中唯一の自由行動日。母娘は花のパリの一日をどう過ごすのか?

■ シテ島で偽ノートルダムに感激す


添乗員さん付ツアーも色々な名所をスムーズに回れる点がよいのだが、やはり自分たちで地図を見て歩くのが、旅行の醍醐味だよね。
というわけで、「自由行動日」である。
母は、パリの治安が悪いということを聞き知ってから、この日のことを心配し続けており、万全の身支度であった。荷物を服の下にしこみ、徹底したスリ対策。おかげですごく太って見えてしまっていた。

わたしはといえば、朝目覚めたらダイナミックな寝癖がついていた。前夜、ワイン酔いと疲労のため、髪を乾かさず没眠したのだった。「かっこいいからこのまま出かける」と主張するが、「そんな頭で花の都を歩かないでくれ!」と母に阻止される。




ちなみにマイ旅行鞄。
お守り(?)の楳図バッジ付き。

バッジ



行き先は前日まで決めておらず、やはりヴェルサイユ宮殿を見物しようかと言っていたのだが、遠いうえ(われわれのホテルは20区・ヴェルサイユはパリ中心部を挟んで反対側の郊外)、「スリがめちゃくちゃ多い」と添乗員さんに教えられ、あっさり目的地を変更。シテ島のノートルダム寺院へ行くことにする。
添乗員さんに「ステンドグラスがすごく綺麗ですよ!」と教えられたし、それに、ノートルダムといえばゴシック様式! わたしはごてごてした無駄な装飾大好きなのだ。


メトロに乗り、シテ駅まで二人で3.4ユーロ。初めてのメトロ乗車だー。メトロもとりわけスリが多いと聞いていたから、やはり母は緊張し続けている。隣に座る人が代わるたびに、「このかっこいい人スリとちゃうか」「こんなでかいやつがひったくりやったらどうしよう……」とびくびくする母。「人を見たら泥棒と思え」の忠実な実践。地下というのが余計恐怖を増幅させるのであろう。
ともかくも無事シテ島に到着。メトロの階段から見上げた風景が美しかったので、階段で写真を取っていたところ、「早く地上に出てっ!」と母に叱られる。

メトロ


駅を出たところには、裁判所があった。ぎらぎらした装飾が施されており、全然裁判所ぽくない。そういえば昨日、大阪のパリのおばちゃん(前編参照)が、「フランス人は何でも金ピカにしないと贅沢した気がしないのヨー!」と言っていたな。
そして、裁判所の向こうに大きな教会が見える。おお、あれがノートルダムであろう。たしかにでかい! 外観を眺めるだけで圧倒的。世界史の教科書で見たとおりの、The・ゴシック様式だ! 有名な、トゲトゲの塔もあるし、あちこちから変な怪物みたようなものが突き出ている。






入口で、見学料8ユーロを払う。見学無料と聞いていたがはて? 有料化されたのかな……と訝りながら中に入るが、中に入ると、見学料のことなど忘れる美しさ!
荘厳なその空間には、壁には一面のステンドグラス、床や柱にもびっしりと彫刻や装飾が施されている。奥まった祭壇の近くは一際薄暗く、しかしその中に一筋の碧い光が仄差している。キリスト教の信仰などまったくないわれわれも、思わず敬虔な気持ちになるような空間……
……のはずだが、母は傍らにあった土産物屋の売店に直行。

「これ、○○(妹)に買うてあげよーかな」
「これは、○○の彼氏に……」
「あー、親戚にはこれがええかも」
そうなのである。大家族とご近所のしがらみのせいでわれわれは、旅行に出るといつも土産が一大悩みとなるのである! ドイツとスイスでも土産を買ったのだが、母にはまだ足りなかったのだった。
「いや、さ、先に観光しよう! せっかくノートルダムまで来たんやし!」と母を土産物屋から引き剥がし二階へ。

二階には、一階よりさらに大きなステンドグラスが、天井まで聳えている。ますます壮観。
遠くから見ると一面同じ蒼いガラスに見えるけれども、よく見るとどれも模様が違うのだ。すべて聖書の場面を描いたものだという。両奥の薔薇窓は、黙示録を表している。







外壁の彫刻も素敵。これはノアの箱舟の動物たち。可愛い。



こちらはアダムとイブのヘビ。





二階には、壁沿いに椅子が並べられており、われわれもそこに座り、ステンドグラスを見上げる。
各地からの観光客たちが一列に座って休憩している。
皆一様に、うっとりとステンドグラスを見上げている。
ステンドグラス越しに差し込む光で、室内は綺麗な蒼に染まる。
人々は歓声をあげ、歓声が騒がしくなると、係員が「silent!」と注意の声を発し、一同は静かになる。小学校の教室のようで面白い。ずいぶんいろんな国籍、いろんな年齢の生徒がいるけれども。われわれは何度も、「さすがノートルダム!」と感嘆し、ステンドグラスがぐるりと全体を覆う様子を動画で撮影した。





【売店でお買い物】
o ステンドグラスのポストカード(0.6ユーロ)
o パリのモニュメントがあしらわれたペン(1.5ユーロ)
o ガルグイユのマグネット(3.5ユーロ)


母は薔薇窓をあしらったイヤリングを欲しがっていたが、高いので断念。買うてあげればよかった、と後で後悔。(ネットで売ってないかしら。見かけた方ご一報ください。)
マグネットは従妹へのお土産。ガルグイユといえばノートルダムのシンボル的存在だ。屋根に鎮座している有名なやつ。
そういえばガルグイユの姿をまだ見てないな、と気づく。
「ガルグイユどこにいるんやろ?」と外へ出て、もう一度外観を眺めると、上のほうに翼のようなものが見えた。「あれじゃない?」「おお!あれが有名な!」と感嘆しあう。

ノートルダムは、塔にも登れると聞いていたのだが、塔の入口が分からない。「タワー、タワー。ラ・トゥール、ラ・トゥール」と訴えるが、わたしのカタコトでは通じなかったらしく首を傾げられてしまい、塔は諦めた。


***

「さて、ノートルダムも見たし、これから何処へ向かおうか!」
とミッシェル橋へ出て地図を開き、どうもおかしいことに気づいた。ノートルダムと橋の位置関係が合致しない。

そしてわれわれは気づいたのだった。今までいたところはノートルダムぢゃなかった!
われわれがノートルダムだと思い込んで見ていたのは、パレ通りを挟んで反対側に位置するサン・シャペルだったのだった。 
どおりでなんかおかしいと思ったよ。ていうか、さっきからの一連の「さすがノートルダム」「あれがガルグイユ」は一体!! 動画撮影時に入れた「今ノートルダム聖堂に来ていまーす」という浮かれたナレーションは一体!!

本物のノートルダムは、サン・シャペルから歩いて五分のところにあった。
入口には観光客の列ができて、諸々の露店が出ている。でかい! さきほどわれわれが「でかい! さすがノートルダム」と感動していたサン・シャペルの数倍でかい!

本物のノートルダム。

ノートルダム



中に入ると、「懺悔室」がたくさんある。おりしもミサの最中であった。しかし、神妙に祈っている人よりも、それを写真に撮っている観光客のほうがはるかに多い。ガイドブックには「宗教施設なので帽子や露出の多い服装など、不適切な格好は避けましょう」とあったが、ノースリーブに麦わら帽のリゾート野郎ばかりであった。ていうか、われわれもその一員なのだが。

ミサ


ステンドグラス


外壁の聖人たち。自分の首をもっているのは殉教者。



闇の中に光る蒼や緑のステンドグラス。サン・シャペルよりも様々な種類があり、巨大である。が、なんだかんだで印象に残っているのは、間違って入ったサン・シャペルのほうだったりする。ステンドグラスの美しさではノートルダムに引けをとらないし、二階でみんなが座ってほやーっとなっているのが、アトホームな雰囲気でよかった。それほど混雑もしていなかったし、おすすめだよ。
そういえば、サン・シャペルの出口には感想ノートが置いてあり、日本風の萌えキャラの絵がやたらと描かれていた。


やっと逢えたガルグイユ!



裏の公園から観たノートルダム。





■ セーヌ沿い散策

さて、シテ島からセーヌ川に出て、セーヌ沿いをシャンゼリゼの方へ向かいつつ散策することに。
セーヌ川は道頓堀のようだが、その川べりで無造作にフランスパンを食べる女性、やたらファッショナブルな警視庁、マロニエ並木。並木の下では老夫婦がキスしてた。ああ、異国だなあ。
ポンヌフを渡る。母は映画好きなので、映画で見知った橋を渡ってうれしそう。「ポンヌフ!ポンヌフ!」。橋の名の響きもツボらしい。橋の上には似顔絵描き。橋の凹んだ部分では、ひとりずつホームレスらしき人が寝ていた。時々、物乞いをする人の姿や、橋上であやしげな商品を売る物売りもいて、彼らは大概有色人種であった。街中でも、ホテルの下働きやショップの警備員など、ブルーカラーはたいてい有色人種だった。


ポンヌフを渡ったところは美術学校のお膝元であり、細い路地にギャラリーが並んでいる。シャンゼリゼが渋谷なら、さしずめ神保町だろうか。古本屋も多いし。好きな雰囲気の街。


ポンヌフの上で逢った犬。

犬


古本屋をひやかす。

古本屋


色とりどりのキャンディ。



耳の模型。(何のお店だ?)





さらにセーヌ沿いの南岸を西へ向かうと、次の橋はポンデザールである。
このポンデザール、京都市民にとってはとある黒歴史を思い出させられる橋なのだ。かれこれ十年ほど前、ゲージツかぶれの桝本京都市長(当時)が
「パリは姉妹都市だから、鴨川の四条-三条間にポンデザールを架ける(施工費5億円)」
と計画して市民から総すかんを食らい結局計画を取り下げた、という珍事があったのである。なんだそりゃ。先斗町とはポンしかあってへんし。姉妹都市だから、というならセーヌに五条大橋を架けてからやろが。

こうして実物を見てみると、どう見ても鴨川に似合わない。ポンデザールはパリにあってこそである。ああ、あのとき止めておいてほんとうによかったなあ!



ポンデザール


カラフルな輪っかはアートの象徴らしい。
「ポンデザール」とは訳すと「芸術の橋」。

ポンデザール



ポンデザール周辺は、南にオルセー、北にルーブルと、まさにアートゾーン。画材を売る店も多い。様々な画材を並べたショー・ウィンドウを眺めながら、おおー、これ欲しいー!と盛り上がっていると、隣にいた画学生ぽいお兄ちゃんがこちらに向かってなぜか、「ウン」と頷いた。
「そうさ、ここは芸術の町、パリさ」
そんな自負を感じた。





アートゾーンだからかこのあたりはとりわけ落書きが多い。というか、パリの街は全体的に落書きだらけであった。こちらにも落書き写真を載せたけど。

パリのうんこ。
とぐろを巻くのは万国共通なのか。



落書きだらけの標識。



ジェーン・バーキンの「フレンチ・グラフィティ」という歌をわたしは思い出したが、母は、「花の都やのに、汚い……っ!」と衝撃を受けておった。
その後、コンコルド橋を渡り、コンコルド広場に出て、セーヌを離れる。



コンコルド橋からポンヌフのほうを望む。

川




■ パリに降るのはマティーニの雨


さて狛犬のようなかわいい獅子のいるコンコルド広場では、黄色いユニフォームを着た自転車集団がレースの最中。
折しもパリは、翌週にツール・ド・フランスを控えていたのだ。この日開催されていたのは、ツール・ド・フランスと同じコースをアマチュアが走る、というイヴェント。そのゴールがコンコルド広場。
父(ロードバイク乗り)が見たら喜ぶだろうなあ、と思いながら、写真におさめた。


黄色いユニフォームはスイス人選手。



浮かれた応援の人びと。



コンコルドからは放射状に道がのびていて、そのひとつがシャンゼリゼ。中学の音楽の時間に、♪いつもなにかすてきなことが♪あなたを待つよシャンゼリゼ♪ と歌ったシャンゼリゼ。これってナンパの歌やん!とツッコミ入れたシャンゼリゼ。
シャンゼリゼも、通り沿いに座席や旗が設置されている。ツール・ド・フランス仕様である。通りに出ると急に人が多くなり、緑地になっている部分の砂埃がすごい。花見のときの御所みたいやなあ、と言い合う。なんでも京都で喩えねば気がすまぬ京都人である。急に人が多くなった。何かの署名を求めるあやしげな人々がうわっと寄ってきて、母がまたも怯える。

少し歩くと、ブランドのショップが並ぶゾーンへ出る。
プラダの本店やらフェラガモやらシャネルやら、日本人観光客が大好きとされるゾーンである。
しかしわれわれはあんまり興味なく、ヴァージンメガストアへ。昨日添乗員さんに、「でかい本屋ありませんか」と尋ねたところ、シャンゼリゼのヴァージンでは本も売っているよと教えてくれたのだった。

まずCD売り場へ。フランスのインディーズ・パンクのコーナーは、色々面白そうなジャケットがあったが、母が、「この店、外人がいっぱいいてこわい」 とか血迷ったことを言い出したので、あまりゆっくり検分できず。J-Pop&J-Rockコーナーには、よく知らない女性歌手のCDがいくつかあるだけであった。そんな中、Dir en gray だけが一コーナーを成していた。ドイツでも思ったことだが、日本のヴィジュアル系は海外で強いのだな。
それから本売り場へ。哲学の棚には、デカルトとかラカンとかドゥルーズとかが原著で(当たり前だが)ぶわーとあって感慨を覚えた。二階は、日本の漫画だらけであった。地階には、画集や写真集がたくさん! いろいろ欲しいものがあったが、Dran という人の Je t'aime という画集を購入(11ユーロ)。好みの絵だったので。


さて、満足して本屋を出ると、もう昼過ぎである。
さっきまで晴れていた空は雲がかかり、小雨が降ってきた。
小雨の向こうに凱旋門がけぶって見えた。
今日が誰かの命日であったことを思い出す。




■ 空腹土産行脚軍


本屋に行きたいというわたしの希望は果たしたことだし、次は、母の土産行脚のターンである。
ギャラリーラファイエットという百貨店へ向かうことに。ラファイエットは、オペラ・ガルニエの付近であり、シャンゼリゼからは少し距離がある。小雨も降っていることだし、タクシーに乗ろうと提案するが、いつも歩きたがらない母が「歩く!」と主張。よほどソウルぼったくり事件がトラウマらしい。


道が放射状に走るパリの街は、姉妹都市というに、碁盤の目の京都とは対照的だ。
京都の四条大宮で既にめまいを覚えるわたしは、もはや地図を見ることを放棄。
だが幸いパリには、各通りに、通りの名を表記したプレートがある。それに気をつけて歩けば迷わずにすむ(逆に、それに気をつけなければ確実に迷う)。
よって、フランス語の読めぬ母が地図を見、多少読めるわたしがプレートを読む、というコンビネーションで進んでゆく。
シャンゼリゼからどこかの通りを北へ入りオスマン通りへ出る。ブランドショップが並ぶ観光地から一転、ちいさな商店の並ぶ、下町の日常風景が広がっている。


オスマン通りのパン屋さん。
エッフェル塔型のパンが並ぶ。




しばらく歩くとまた放射状交差点に出る。パリの街は、いくつかの交差点とそこから放射状に伸びる道路の組み合わせで成っているのだ。上から見ると、お星様がいくつもあるように見えるという具合。
はてここで立ち止まる。この交差点には、通り名表示のプレートがない。どの道をゆけばいいものか。地図を見ても分からない。京都なら、山を見て東西南北を判断できるが、どちらが西や東やも分からん。
すると、このときまでパリに怯えてばかりであった母が、急におばちゃん力を発揮しはじめた。

母は言い放った。「人に訊いたほうが早いな!」
英語もフランス語もまったく喋らない母がこれいかに。母は、「あのおばはんに訊くわ」と、路傍のベンチでバスを待っていたおばさんに狙いを定めた。おばはんというよりはマダームと呼ぶべき、映画の一場面から抜け出したようなパリの婦人である。朽葉色のワンピースと、同色の帽子に身を包み、ゆらゆらと葉巻をふかしているだけの、何気ない動作が実に絵になっている。「おばはんには、おばはんや」。よう分からん宣言とともに、母はマダームにてとてとと近づいてゆき、言った。
「すいませんけど、オペラ・ガルニエて、どっちの道を行ったらよろしいですやろ?」

出たっ! 秘技・「誰に対しても日本語(関西弁)」や!!
マダームは少し困ったような微笑を口元に浮かべながらも、ゆっくりと低い声で聞き返した。

「ガルニエ? ハアン、オペラ・ギャルニーエ……?」(注:仮名表記不能)


パリのマダーム、わざわざ発音を訂正した! まるで、「大文字焼き? なんどすかそれ、もしかして、送り火のことどすか?」といちいち訂正せずにおられぬ京都人の如しである!
しかし、どうやら通じた模様である。母、「ああ、そうそう、それそれ」と適当な相づち。

マダムは滔々とフランス語で説明を始めた。どこで曲がってどうのこうの……と言っておられるようだが、聞き取れない。母も負けてはいない。「ふん、ふん、それは分かったから(注:分かってない)、ほんでどっちの道ですのん?」。するとマダムが再度フランス語で同じ説明をする。母が再度日本語で問う。両者とも、頑なに母国語から離れないっ。
同じやりとりが数回繰り返され、ついにマダムが、「ゴー・ストレイト!」と英語を発した!

かろうじて聞き取れたところによると、まっすぐ行ったところにスーパーマーケットがありその角を曲がってマドレーヌ通りへ出る、とのこと。母は「マドレーヌ」だけ聞き取れたらしく、「マドレーヌ屋さんがあるんやって〜」と得意げであった。
かっこいいマダムにお礼を言って去る。


しばらく歩くとマダムの言った通りスーパーがあり、その横に伸びるマルゼルブ通りへ折れてしばらくゆくと、マドレーヌ教会があった。ここからトロンシェをまっすぐ歩きもう一度オスマンに出れば、もうラファイエットである。
往来の様子は次第に都会めいてくる。百貨店の周囲に、小さいけれど洒落た服飾品のお店が並ぶ。靴屋さん、帽子屋さん、アクセサリー屋さん。だがその傍らの公衆トイレは尿臭を放ち、トイレの脇にはホームレスらしき老婆がゴミに埋もれて座っている。


マドレーヌ教会の向かいの建物。奇抜な広告。



手袋屋。カラフルだなあ。





さて、ようやくラファイエットに到着。ここで土産行脚を完成させねばならない。
とはいえ、われわれは朝から何も食べず歩き続けている。お腹すいたよう……と言っているところへ、偶然、同じツアーの人と遭遇した。
彼女らは、ブランドショップの袋をいっぱい抱えていた。シャンゼリゼで既に買い物を満喫なすった模様である。「私たちもまだ何も食べてないんです。よかったらどこかで一緒に食べません? 人数が多いと心強いし」と誘ってくれた。おお、有難い!
しかし、母は断った。

「有難いけど、まだお土産を買えてへんし。お土産を買うてしまわんとあかんし…」

われわれはもはや土産の奴隷である!
そして、怒涛の行脚が始まった。


まず父への土産を求め紳士服売り場へ。はたと母が立ち止まる。見ると、ツール・ド・フランスグッズショップが特設されている。おお、自転車好きの父にちょうどいい! ウェアを買ってあげよう!と盛り上がるが、父サイズは売り切れて在庫なし。母、「ほな代わりに」と何故か妹の彼氏のためにTシャツを買う。
いったん買おうとしたものが無いとなると途端に悔しくなり、他の階を探したり、隣のデパートも覗いたりと、本格的に行脚めいてきた。結局ウェアは見つからず、父にはツール・ド・フランスのロゴ入り水筒を買うてあげた。この時点で既にぐったりだが、次は妹たちの土産だ! きらきらしたアクセサリーを売っているお店へ。ここの店員さんがまた、「パリの大阪のおばちゃん」風味であった。
チャームが二連になっているペンダントを指して母、

「これのこっちから上のとこだけほしいんやけど」(関西弁)
するとおばちゃん、ちゃんと上の部分だけ出してくれる。すごい。気合で通じている。
支払いの際、小銭ばっかりわさわさ出す母。
「すんません、細かいのんばっかりで…」(関西弁)
するとおばちゃんも、クククと噛み殺した笑いとともに小銭を数える。ソウルでも思ったことだが、おばちゃん同士って言葉が通じなくても笑い合えるのだなあ!


さて、何も食べずに土産行脚を続けた母はちょっとおかしくなっており、方角を見失ったりむやみにぐるぐる動き回ったりと、行動が奇妙になってきた。
明らかに血糖値が低下しとる! 土産行脚はかくも過酷なのである。
ともかくも、妹たちへの土産義務も果たしたし、カフェに入ってなんかオシャレなほわほわしたものを飲みたい。少し日の落ちたパリの街でお茶したい。パリといえばキャッフェエではないか! と主張したが、母に拒否される。「いや、まだ土産行脚は終わっていない。みんなにちょっとしたものを仕入れんとあかん!」

「ちょっとしたもの」とは、メインの土産とは別のこまごまとした土産である。「ちょっとしたもの」をたくさん買っておくと、土産分配の際にバランスが取れるし、急に予定外の人に土産を渡すことになったときにも対応できるのだ。と土産エキスパートの母は主張する。
ちょっとしたものとはたとえば小分けにできる菓子などであり、それらを購入するためにスーパーを探すことになる。

日本なら都市を歩けばぼこぼこコンビニがあるが、パリには「コンビニ」というものがない。よって、どこにあるか知れんスーパーを求めて行脚が始まる。母の「こういう通りには必ずスーパーがあるはず!」という謎の確信によって、とりあえずラファイエットをまっすぐ歩くが、スーパーはなかなか現れない。パリの街はようよう日暮れ時のムードを醸し始めた。
母娘ともに極度の疲労と空腹で、もう道も分からない。なぜか去ったはずのラファイエットに舞い戻ったり、入るつもりのない店に入ったりと、数十分彷徨ったわれわれの目の前に、スーパーFrancprixが現れたときの盛り上がりっぷりといったら!
「わああーフランプリやああ!!!」

パリの一日でこのときほどわれわれが盛り上がったことがあったろうか。ていうか、スーパーごときが最大の盛り上がりとは……。
ここで母は「ちょっとしたもの」をしこたま仕入れ、長かった土産行脚にピリオドを打ち、安らかに目を閉じたのであった。

ちなみにわたしもここで生理用ナプキンを購入し、ナプキン三ヶ国制覇を果たした。デパートでは、食品売り場でジャン・ポール・エヴァンのショコラ・オランジュ・マカロンを二個買ったのみ(3.2ユーロ)。



■ fermente事変



スーパーで晩御飯も買い、ようやく帰途へ。「フランスのスーパーの袋にフランスパンを抱えてパリの街を歩くなんて、うちらオシャレ!」 とはしゃぐが、疲れ果てた母には冷たく対応される。
帰りのメトロでも母が泥棒に怯えるなど諸々の事件があったのだが、省略する。
帰り道ではたくさんの犬を見てなごんだ。フランスパンのように抱かれた犬や、まめ子似の犬など。今回廻った国ではどこも、犬が大事にされていたのがとてもよかった。


帰り道で見かけた犬標識。



無事ホテルの部屋に戻り、やっと人心地がついた。さあ、一日歩き続けた空腹を癒すんだ。
スーパーで買ってきたものを並べ、ささやかな夕飯の準備。
サラダ、フランスパン、チーズ、ハム、デザート!
それからミルクをグラスになみなみと注ぐ。美味しそう。フランスパンにはミルク。なんといっても喉が渇いた。


いただきます!



そのとき、ミルクをひとくち飲んだ母が叫んだ。「うわあっ!」
ものすごくいやな予感を感じつつわたしもミルクを飲む。
両者とも、無言のひとときが流れた。

ミルクには、よく見ると「Lait fermente」と書かれている。スーパーで「どれがミルクかわからへん〜」と嘆く母に、
「"lait"ていうのがミルクのこと。ほら、"カフェ・オ・レ"っていうやん」
と得意げに講義しながら買うたのだったが、「fermente」をまったく無視していた。
「fermente」を電子辞書で引き、われわれは真相を知った。

いや、こういうものと知って飲めばそれなりに美味いのだろうが、今は清涼感を求めてミルクを飲んだのに、なんというしょんぼり。本日最大のしょんぼりである。スーパーで買う前に辞書を引いておればこんなことにはならなかったのに! この単語は二度と忘れないであろう、こうして人は学習するのだな。
われわれは発酵ミルクを洗面台に流し、ミニバーのミネラルウォータを粛々と飲んだ。

fermenteで落ち込んだ気分を治そうと、ちょっと贅沢しよう!と買ったエクレアのようなデザート食べるが、これもぱさぱさとしてまったく美味くない。いつも買うてるジャスコのエクレアのほうが美味しい。
母の「納得できひんわ!」という叫びとともに、パリの夕飯は終わった。

カフェでほわほわのものを飲む希望を捨てきれないわたしは、「食後にカフェを探しに行こうよう」と勧誘したが、疲労の極みの母は就寝。


こういうものが飲みたかった…。





■ 駆け込み満喫パリ気分


翌朝はもう帰国日。
長いような一瞬なような旅の一週間だった。
ホテルの朝食で、昨夜の発酵ミルクの憂さを晴らすため思う存分ミルクを飲む。昨夜からずっと、ああっ、朝になったらおいしい牛乳を飲むんだっ、と思っていたのでうれしい。
同じツアーの人たちに会い、「昨日の自由行動はどうされてました?」と互いに話を聴く。どの人も皆、「何も食べず歩き疲れた」だの「お土産ばっかり買ってた」だの意外に似た過ごし方をしていて、可笑しかった。

朝食。



ホテルを去るまで、少しだけ時間があるので、最後のパリ散歩をする。ホテルの向かいの通りへ渡ると、パリらしい可愛いカフェやレストランが並ぶ、涼しい並木道! なんだ、こんなところがホテルの近くにあったのか。
いかにもパリ!な赤い可愛らしいカフェ。昨日ここで夕食を食べればよかったね、と言い合う。入った気分になろうと、勝手にカフェの前で写真だけ撮った。



緑がすてき。キッチン用品店。



昨日必死に探したスーパーFranprixもこの通りにあったっ!
その二階は、日本料理「ずぜぞ」。



並木の下で写真を撮り、ぱりじぇんぬを気取って歩く。
やっぱりパリは最高だ。街路樹の緑の間を乾いた風が抜けて、薄い光が差して、ジメジメしないその気候と同じく、カフェで談笑する人々も自由で愉しげだ。鹿爪らしい顔で珈琲をすすってる人などいない。車がどれもボコボコでも、路上が落書きだらけでも、人々は一向に頓着しない。コセコセした日本とは違う。作家・森茉莉は、パリに降り立ったとき、「私はフランス人だったのだ!」と思ったらしいけれど、ひょっとするとわたしもフランス人なのかも! パリに住むべきなのかも!
と、最終30分で最高にパリ気分を満喫した。
満足し、帰りのバスに乗ったのであった。





ホテルからド・ゴール空港までの高速道路は、いずこも同じ郊外の風景であった。
空港に着くと、ずっと他人のための買い物しかしていない母は、「今日こそ自分のものを買ってやる!」と決意するも、いざ買い物するとなるとやはり「みんなの分も…」となってしまい、ここで最終土産行脚が行なわれた。
ド・ゴール空港のショッピングゾーンには、おしゃれでかわいいお店が並んでいるけれども、それはゴミと落書きにまみれた実際のパリとは違い、みんなの空想の中にある人工のパリのようだった。そして、トイレの便座がショッキングピンク! パリのトイレは総じてダメだったが、玄関口だけはキレイなのか。パリ入りした際の悲しみのTGVトイレとの対比に笑う。


無駄にオシャレなトイレ。




ラドゥレのお店も出ている。ミントグリーンのワゴン型で可愛らしい。マカロンも、それを入れる箱も、夢のように可愛い。ローズマカロンとミントマカロンを購入。ちなみにマカロンは、中のクリームが液体物と見なされ税関で没収されるので、税関を出てから買わねばならない。










わたしはまだ、昨日飲み損ねた「ほわほわした飲み物」に未練を残していた。
するとテイクアウト式の珈琲ショップがあるではないか。メニューには「ショコラ・ヴィエノワ」がある。おお!パリで最後にほわほわ欲を満たしてゆくぞ!とそこに並ぶ。
しかし、前に並んだ日本人女子の注文のまどろっこしいこと! なぜかメニューにない注文を次々繰り出して断られては、「うーーーーん、じゃ、どうしよう……あーん……」と小首をかしげたまま休止。並んでいる客一同苛々。そうしているうちに搭乗時間が来てしまった! 結局ほわほわ欲を満たせないままパリを後に。

バイバイ、花とゴミとスリの都。バイバイ、ヨーロッパ大陸。バイバイ、ほわほわの飲み物よ。
ラブラブ夫婦は空港でも立入禁止を無視して写真を撮り続けていた。奥さんと母は飛行機の中でもまた介護の話をしている。結局名前も職業も知らないまま一週間をともにした、ふしぎな仲間たちだった。

12時間後、湿気の国・日本に帰国。満たせなかったほわほわ欲を満たすため、スタバでキャラメルマキアートを飲む。そして、帰国後30分も経つと、あの「わたしはフランス人!」という確信は霧のように消え去った。


ハイネケン。



マルボーロ。








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