母娘、初めてのソウル(前篇)






■プロローグ:母娘が海を越えるまで

わたしの幼い頃、諸事情あって母は、ほぼ自宅に軟禁状態であった。
到底現代人とは思われぬ不自由な境遇を託ちながら母はしばしば、ぼやいていた。
「ああ、外国に行きたい。スイスに行きたいわあ」
これを聞かされた娘は、「大きくなったらお母さんをスイスに連れてゆくのだ」と思いながら成長した。

だが、それから30年近くの月日が流れたが、われわれは依然、日本どころか京都からも殆ど出たことがないという田舎者ぶりであった。到底現代人とは思えない。
30になった娘は、今年こそは、と思い立った。

「母よ! 今年こそは海外へゆこう。やっぱりスイスがいい?」

「スイス? いや、べつにどこでもええけど?」
母はスイスに特に思い入れはなく、テキトーに言っていただけだったことが判明した。
じゃあドイツかフランス、とりあえずヨーロッパだ。……しかし、準備をすすめるうちに、元来の出不精で段々面倒になってきた。
われわれはヘタレた。超ヘタレた。「やっぱ……、近場で韓国とかにしとかへん?」

そして母娘は、ソウルにゆくことになった。


■ ソウル上陸、東大門で眼球飛び出す

3泊4日の安ツアーに申し込んだ母娘は、大騒ぎの末パスポートを取得し、やっと現代人となった。
母は、海外のトイレにはペーパーが無いんではと心配し、旅行鞄にトイレットペーパーをロールごと詰める準備万端ぶりである。
娘は娘で、韓国語:「ファジャンシルンオディムニカ」(「トイレはどこですか」)を何度も練習し、準備万端。なぜかトイレの心配ばかりする母娘であった。
われわれは連日「イムジン河」を歌い、出発に備えた。朝鮮半島といえば、それしか思い浮かばぬのだった。歌詞は当然フォークル日本語ヴァージョンである。

そして当日、またも関空まで行くのに大騒ぎ、飛行機内ではひどく酔ったり離陸時に立ち上がって叱られたりと相変わらず田舎者ぶりを発揮しながら、なんとか韓国・仁山空港に上陸した。


初めての機内食……だが、不味くてテンション下がる。


当り前だが、飛行機に乗っていた一時間ほどの間に、周囲の話し言葉も係員の指示も案内表示もすべて異国語になってしまった。なんというバベルの塔だ。仁川空港は広大でなかなか出られない! 一生空港から出られないのかも……と不安でまごまごし始める母娘。どんだけ田舎者やねん、って話である。やっと出口にたどり着いたら、陽気なおにいさんが、「コンニチハ!」と日本語で迎えてくれ、ほっとした。

高速バスで都心にあるホテルへ移動する。添乗員さんは、すらりとした、しかし愉快なお姉さんで、韓国の文化や最近の流行について話してくれた。
高速道路沿いに、漢河が見える。「ここをずっと行ったら、板門店。その向こうが、北朝鮮です」とお姉さん。そうか、北朝鮮と地続きなのだ。日本では、まるで架空の国のように語られる北朝鮮。でも北朝鮮って実在するんだよな、と思い知る。オプションツアーの「板門店から北朝鮮を望むツアー」に参加したかったが、母が「拉致される!」と騒いだので断念した。


バスの窓のカーテン。
緻密な刺繍に異文化を感じる。



ホテルに着いたら夜8時頃。日は既に落ちてしまった。
だが、せっかく来たのだから夜遊びがしたい! ということで、近くにある東大門へ観光にゆくことに。

東大門まではホテルから地下鉄で一駅だが、まず、ホテルから地下鉄まで行くにも一苦労である。ホテルの人に、地下鉄の駅の所在を尋ねようとするも、言葉が通じない。なんとかカタコト英語で通じ合った。日本語のカタコト英語と韓国語のカタコト英語は、発音が似ているようだった。
地下鉄に着いたら着いたで切符を買うのが大仕事である。これも、英語表示に助けられ、やっと切符ゲット。50代と30代母娘、「はじめてのおつかい」状態である。


地下鉄の落書き。「少女時代・テヨン・ティファニー」とある。
「少女時代」とは韓国のアイドルグループ。


夜の東大門はライトアップされていて美しい。観光客らしく、写真を撮る。内側は細かな文様の装飾が施されており、裏側に回ると城壁のようでカッコよかった。






周辺は東大門市場があって賑わっている。
だが、交通が怖い! 車がありえない速度でびゅんびゅん飛ばしているし、バイクは歩道を普通の速度で走ってくる。ソウルは日本以上の車社会らしく、横断歩道が見当たらず、いつまでたっても大通りを渡れない。

市場付近には、ファッションビルがいくつも立ち並んでいる。これらは卸も兼ねているため、夜中営業しているのだ。どのビルも、くるくるとネオンの色が変わって煌びやか。どうやら韓国人は、色の変わるネオンが大好きなようで、至るところで色んな色彩がきらきらしている。こりゃあ楽しい!









ファッションビルに入ってみると、その中で売られている服や小物も色とりどりである。日頃より、日本の控えめな色彩を物足りなく思っていたわたしは、己の求めていたものはソウルにあったのか!と歓喜。派手な色彩のシャツを二枚見つけ、早速買い求める。ソウルの若い女性の間で流行しているショップだそうだ。

ビル内では、チープで賑やかな服が、ぶわーっと雑多に陳列されている。
「此処はいい!好きになった!」と言うと、「ニシモト(仮名)やんか!」と母。「街全体がでっかいニシモト(仮名)や!」
ニシモト(仮名)とは、我が家の近所にあるおばちゃん洋品店であり、その安価さと雑然さゆえにわれわれはニシモトをばかにしつつ愛でているのであった。なるほど、東大門は一帯が巨大ニシモトだ。



店を見て回っていると、日本語で呼びかけられたりもする。
鞄屋のお兄さんが、さかんに何か言ってくる。聞くと、

「カンペキなニセモノありますよ!」

と言っていた。
「○○とか○○(ブランド名)のカンペキなニセモノありますよ!」
われわれは思わず失笑。
「誰に教えられたんやろ、あんな日本語」「カンペキなニセモノって……!」と盛り上がり、その後しばらく「カンペキなニセモノ」が母娘間での流行語となるのであったが、その後この言葉の呪縛を受け続けることになろうとは、母娘とも予想していなかったのだった……。

さて、しばらく歩くとおなかがすいてきた。そういえばソウル上陸以来何も食べていない。
ファッションビルの上階にある食堂で何か食べることにして、エレベータを上る。すると、上ったところでいきなり食堂のおばちゃんに腕を掴まれ、むりやり席へ連行される!
愛想良く「ユーアービューティフル!」なんぞとお上手言いながら無理やり母を席に座らせた。ソウルのおばちゃん、なんという押しの強さか。空腹のためもはや抗う力もない母娘は、拉致されるがままに席につく。


謎の日本語メニュー。お盆ろばお盆チョルメン


空腹のわれわれはとりあえず注文。母は粥を、わたしは好物のトッポギを。
まもなく、キムチやら魚のようなものやら、頼んでもいないものが次々運ばれてくる。サーヴィスらしい。
更におばちゃんは、追加メニューを薦めてくる。「これもドウ? マシッソヨ!」。手をひらひらさせて「ノーサンキュー」と断るが、おばちゃんは粘る。だが母が、「そんなぎょーさん食べれへんわ」と関西弁で断ると、こりゃムリだと悟ったらしく、諦めて去ってゆかれた。
ソウルのおばちゃん vs 関西のおばちゃん……どうやら関西弁は世界に通じるようである。
この旅行が、異文化を楽しむ旅であると同時に、母=関西のおばちゃんの生態を楽しむ旅となるであろうことが、このとき予感された。

ほどなく注文の品がやってきて、さあ、やっとソウル初食事。
だが、ひとくち口に運んだ瞬間、眼球が飛び出しそうになる。
辛っ !!!
「か、辛いな……」
「うん、辛い……」
辛いが味わい深い、とかいうデリカシーのある辛さでなく、ただただ端的に、めっちゃ辛い。我慢して食べ続けるが、汗が吹き出し、しまいには辛さで目が回ってくる。母も無言である。


真っ赤なトッポギ。

われわれは、すっかり辛さにノックアウトされてふらふらと外へ出た。外に出ると小雨が降っている。夜も遅いし疲れたので、タクシーでホテルまで帰ることにする。
なかなかタクシーを止められずまごまごしていると、幸い、一台のタクシーがわれわれの前で止まってくれた。
ラッキー、と乗り込み行き先を告げる。運転手さんは「オーケー!」と頼もしく答え、ホテルへの道を走り始めた。その後、事件は起こった。

■事件:母 vs ぼったくりタクシー

後部座席に腰を下ろしほっこりしているわれわれに、運転手さんが突然、言った。

「オーバータイム、4万ウォン」

意味が分からずキョトンとしていると、苛立たしげに何度も、「オーバータイム、オーバータイム! 4万、4万!」。そして、実際に1万ウォン札を4枚取り出してわれわれに示してみせ、「4万、アンダースタン?」。
どうやら、「もう労働時間を過ぎているので、深夜料金として、4万ウォン払え」と言っているようである。
4万ウォンは、約4000円である。東大門からホテルまではごく近く、本当なら300円ほどの距離のはずだ(※韓国のタクシーは日本のより安い)。なんぼ深夜といっても、4万ウォンは無茶である。これが噂のぼったくりタクシーか!! 夜のソウルには悪質タクシーが出没するという情報は事前に得ていたけれども、韓国上陸数時間でいきなり出遭ってしまうとは思わなんだ!

「アーイ・ドント・アンダースタン!」「トゥー・イクスペンシヴ!」などなど、わたしが下手な英語で抵抗を試みる横で、母はといえば、
「4万て、アホな、高すぎるわ」
「ちょっとちょっと、止めてんか!」
と関西弁で抗議を示す。
だが運転手のおっちゃんも負けてはいない。われわれの異議など耳に入らぬかのように、「4万!4万!」と怒鳴りながら、暗い道をびゅんびゅん猛スピードで飛ばし、ホテルの前も通り過ぎてゆく。4万払わんと降ろさん、というわけか。外は知らない真っ暗な道、右も左も分からん異国でこの仕打ち。怖いよう……。そのとき、関西弁しか発しなかった母が、初めて英語を発した。

「ポリス!」

するとおっちゃんは、突然失速した。
「ノーポリス、ノンノンノン……」
おっちゃんは、突然気弱になり、道の傍らに停車した……!
そして、「他のタクシーに変えやがれ(英語)、サヨウナラ!(日本語)」と捨て台詞を吐き、われわれを降ろし、走り去っていった。

無事解放されて安堵しつつも、母娘は腹を立てかつ途方にくれた。知らない街の知らない場所で、深夜だし、小雨は降っているし、ホテルまでどうやって帰れというのか。嗚呼、何時間かかるんだろう……。

だが、ほどなくして、そこはホテルのすぐ裏だったことが判明。5分でホテルに着いた。つまりおっちゃんは、タダでわれわれをホテル近くまで乗せてくれたというわけだ。意外とええ人やったんかも…。

口の中にまだトッポギの刺激が残ってたので、歯を磨いて寝る。うがいすると、水が真っ赤になった。



■大雨の明洞で日本人まみれ

翌朝目覚めると、ソウルの町は土砂降りであった。昨夜の小雨が大雨になったのだ。
ソウルは、7月上旬が雨期なのである。



ホテルの窓から望む雨のソウル。

この日は古宮や寺などを観光にゆく予定であったが、こうも大雨ではしょうがない。
ホテルから近い明洞あたりに出て買い物でもしようかということになる。明洞というのは、日本でいえば渋谷のような町。幸い、ホテルからシャトルバスが出るという。

ロビーでバスを待っていると、日本人の婦人が親しげに話しかけてきた。
「えらい雨やねえ! お宅ら、これから何処行かはるのん?」
豹柄+原色、典型的な大阪のおばちゃんである。彼女はわれわれの答えを待たずに、
「私ら、南大門市場に行くねん! あんたらもう行った?」
「東大門には昨夜行ったんですが」
「いやいや、南大門のほうがずっとええで! 食べ物も着る物もぶわーっと売ってるで! 海苔もキムチも美味しいのんがぶわーっとあるねんで! 一緒に行かへん!?」
あんたは南大門観光協会(そんなもんがあるのか知らないが)のマワシモノなのか、ってくらい、なぜか強烈に南大門へいざなうおばちゃん。だがこの激しい雨の中、この激しいおばちゃんと一日行動をともにするのは………。きっと、疲れる……。
そこへ、娘さんらしき女性が怒りながらおばちゃんを連れ戻しに来た。「またあんたは! 何でそうやって人に強制するねん!」
「また怒られてしもたわ、旅費はぜーんぶあたしが出してるのに!」。叫びながらおばちゃんは、ぽかんと見送るわれわれを残し、連れ去られていった。

ソウルの雨は、京都のようにベタベタしていない。韓国では、雨が降ると、「ジメジメする」でなく「サッパリする」と表現するのだそうだ。
それにしたってひどい雨であるので、バスで明洞に着くと、雨をよけて地下街に逃げ込む。地下街にはたくさん人がいた。なぜか、レインボーカラーの派手な傘を持っている人が多い。流行っているようだ。「あたしもあれが欲しい! あれを売ってたら買う!」と宣言し、母にいやがられる。

地下街はやたらに眼鏡屋だらけで、どこも日本語の看板を出している。日本より格安なので、ソウルで眼鏡を作る日本人観光客も多いのだという。「パリメガネ」「ラブメガネ」「フランスメガネ」「インターネットメガネ」など、テキトウそうな店名がついていた。


10分完成を謳う「ラブメガネ」。

地下街をぶらぶらしていると再び、さっきの母娘に遭遇! 南大門に行ったのではなかったのか?
「なんか知らんけど間違えてここに来てしもた! 南大門にはこれから行くねん。おたくらも一緒にこーへん? 南大門はすごいねんで、服やら食べ物やらぶわー………」
またも熱く語られる。そこへ、「何ぺちゃぺちゃ喋っとんねん、時間勿体ないやろ!」とおばちゃんを叱り飛ばし引きずってゆく娘。。ソウル人の熱気に負けぬ濃い関西人母娘であった。

さてわれわれは、ベタなところでロッテ百貨店へ。
ロッテ百貨店は、免税店が入っていることから、外国人客がやたらに多い。
外国人といっても、そのほとんどが日本人と思われ、地下のフードコートにゆくと、日本語ばかりが聞こえてくる。店員も皆日本語を話すので、まるでカナート(注:地元の大型スーパー)の食堂にいるかのようだ。
ここで朝食として、松の実のお粥を食べる。さすがロッテ百貨店、美味しかった。昨日の辛すぎる食事に打撃を受けた母も、やっと満足したようだった。このお粥にも、キムチはじめ頼んでもいないオプションが大量についてきて、どうやらこれが韓国のデフォルトなのだということが分かった。


これはその後食べた昼食。
オーダーしたのは「豚肉」だけなのに、この山盛りっぷり!


上階の免税店へ行くと、更に日本人が犇めいており、もはや日本語しか聞こえてこない。免税店なんぞという浮かれたところに来るのは抵抗があったのだが、ここで、様々の指令を果たさねばならない。まず、妹からの指令であった「BBクリーム」なるものを買い求める。
BBクリームとはファンデーションや化粧下地が一緒くたになったクリームで、現在韓国で大人気らしい。そういや添乗員さんも、「韓国でBBクリーム知らなかったら、北朝鮮人ですよ!」とか言っていた。

日本語の流暢な店員さんから、シワ取りにいいですよなどなどセールストークを聴くうちに、当初興味のなかったわれわれもまんまと数本セットになったものを購入。
その他、諸々、親族ご近所一同への土産を調達するが、こういう買い物は気を遣うので疲れる。そう、家族旅行は土産行脚が大変なのだ……。免税店の土産コーナーは、微妙に足元見た値段なのでオススメできない。

ロッテ百貨店には、地下食品街に Rotiboy も入っていた。
アジア各国で展開しているというチェーン店。甘いバター味のパンのようなものを売っている。母は、この店の存在をフジTV『とくダネ』で知り、以来「ソウルに行ったら Rotiboy をたべる!」と言い続けていたので、早速買い求める。

Rotiboy はひとつ2000ウォン(約200円)。しかし、土産行脚中に円−ウォンの換算を続けたため、既に頭の中ごちゃごちゃになっていた母は、
「2000ウォンってことは200円やから、200ウォンやね」
と意味不明の換算をして、200ウォン(約20円)を差し出し、店員を困らせていた。
なお、Rotiboy はなかなか美味しかったです。日本上陸望む。

■韓国のアキハバラ、龍山を見物(母興味なし)

ロッテ百貨店を出ると、雨は少し小降りになっていた。
地下鉄に乗って、わたしの希望であった龍山へ向かう。
龍山駅は、都心である明洞からは若干離れている。京都でいうと、四条に対する丹波橋くらいの距離か(京都に譬える必要はまったくないのだが)。
なぜ丹波橋、じゃなかった、龍山にわざわざ行ったのかといえば、森川嘉一郎著『趣都の誕生―萌える都市アキハバラ』(幻冬社、2003)にて、韓国の秋葉原として紹介されているのを読んで以来、是非、その風景を見学したいと思っていたので。ちなみに、母は一切興味なし。



龍山は乗り換え駅。
線路がいっぱいあってカッコイイ。




駅前には大きな電器屋がいくつかあり、ipodやらデジカメやらを眺める。売られているものも雰囲気も日本とそう変わりなければ、客層も似た感じ。客はほぼ男性で、チェックのシャツ+紙袋という日本のオタクファッションと同じなのが印象的であった。
だが、龍山では、メイドも路上パフォーマンスもコスプレも見当たらず、オタク的な店もあるにはあるらしいがあまり前面には出ていないようで、秋葉原よりは郊外ぽい雰囲気だった。どちらかというと、一昔前の秋葉原、といった感じだろうか。携帯電話屋がずらりと並ぶ路地は、ちょっと在りし日のアキハバラデパートを思わせ、軽くテンション上がった(が、母は一切興味なし)。
裏通りは逆柱いみりの絵のような町並みに、日本アニメ(『クレヨンしんちゃん』とか)のバッタもんDVDを売る露店があったりして、盛り上がった(母は一切興味なし)。



携帯電話街。全部ケータイショップ。



電器屋街から少し離れたところ。
黄色い看板はオンドル旅館?


龍山も例によって車社会であり、したがって地下道が多いのであるが、地下道にはちょっとした工夫があった。さまざまな工業製品の図と、その発売年を書いたパネルが埋め込まれているのだ。本来退屈な地下道を面白くしようという試みはいいなあ。Windows、ipod……と馴染みのあるものばかりで、「おお、これはあれだ!」と延々楽しんだ(母は興味なし)。





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なぜかカメ。

さて龍山に満足したので、都心に戻ることにするが、龍山駅は乗換駅であるため広大であり、またまごまごする。
何より困ったことには、都心と違って、券売機にはハングル表示しかない。都心では遍在する英語表示と点在する日本語表示に助けられたが、ここでは無理やりハングルを読みこなさねばならない。昔々大学で韓国語を履修していた(注:殆ど何も習得出来ずお情けで単位取得)遠い記憶を呼び戻す。なんとか切符を購入するも、今度はどの路線に乗っていいやら。案内表示もハングルオンリー。読めない文字に囲まれ、あわあわと途方に暮れる。
仕方なく、そこらへんに立っている女の人に、「エクスキューズミー」と英語で声をかけてみると、その女性はにっこり笑って、
「日本語でどうぞ」。

運良く、日本語の出来る人だった。というか、やはり、日本人の韓国語出来る人率に比べ、韓国の日本語出来る人率は、非常に高い。
彼女は日本語で案内してくれたうえ、自身も違う路線で電車を待っている途中だったというのに、わざわざ再度階段を上り、われわれの路線のホームまで一緒に来てくれたのだった。親切な人もいるものだなあ! わたしは「カムサハムニダ」と韓国語、母は「いやー、こんなしてくれはって」と関西弁でお礼を言い、握手をして別れる。
電車内では、鞄から飴をいっぱい出して友人たちに分け与えているおばちゃんを目撃した。必ず鞄にアメちゃんをしのばせる関西おばちゃん文化は、韓国がルーツだったのか?

■南大門でカンペキなニセモノ疲れ

無事電車に乗ったわれわれは、南大門市場に向かう。例の関西人母娘に影響されたらしい。

会賢駅で下車すると、雨は小降りになっていた。
母はそのへんを歩いてた女の子をつかまえ、「なむでもんってどう行ったらええのん?」とまたしても関西弁で尋ねる。なんで関西人は関西弁が世界に通じると思っているのだ…。少女は困った顔をしていたが、なぜか通じたらしく、道を教えてくれた。
少女が指差した方へ向かうと、当の南大門は、工事中の幕で覆われていた。そういえば南大門は昨年放火されたのであった。現在再建中らしい。


再建中の南大門。


南大門の横に広がる、南大門市場に足を踏み入れる。
たくさんの露店も並んでいて、まるで常時お祭のようだ。
軒先には色とりどりの商品。心躍るなあ!




南大門市場入り口。



色とりどりのものを売る店。

衣類や鞄などの店が並ぶ路地に入ってゆくと、日本人と見るや、日本語で次々呼び込みのお声がかかる。

「カンペキなニセモノありますよ」

またそれかっ!
どの店の呼び込みも、こちらにぴょんと近づいてきてはそのフレーズを口にする。
昨日東大門で笑うたときには、オリジナルフレーズだと思っていたが、どうやら日本人向けの定型フレーズであったようだ。

「カンペキなニセモノ、ゼッタイバレませんヨ」

どうもそれは、悪い意味合いではなく、「よく出来た商品ですよ!」というような意味で誇らしげに使われているようであった。
母が肩から提げたレスポートサックを見れば、すかさず「ウチにもレスポありますよ」と鞄屋に呼び込まれ、「15000w、安いですヨ」と言うので見てみれば、どれもロゴが「レアポートサック」であった。
有名ブランドだけでなく、日本ならジャスコで売ってるようなマイナーブランドのバッタもんもあり、そんなもんバッタもんにしてどうする!と心の中でつっこむ。
プリントTシャツ類の豊富なバッタぶりも圧倒的である。ディズニー、ジブリはもちろん、顔の描き込まれていないキティーちゃん(クレーム回避なのか単に面倒だったのか!?)、ちょっとマイナーなとこで浦安鉄筋家族、となんでもありである。一番流行は、奈良美智Tシャツらしく、やたらと着ている人を見かけた。南大門をやたら薦めていたあの関西人母娘は、このバッタ天国で、一体どんな買い物をしたのだろう。
妙な熱気に圧倒され、なんだかぐったりしてしまったわれわれであった。

■夕焼けの街歩き、布ナプとの邂逅

南大門市場の熱気にすっかりアテられたわれわれはすごすごと退散。母などは、「市場でレザーのジャケットかうねん〜」とかうきうきしていたのに、あまりのバッタ天国ぶりに、その中から非バッタを探す気力を失ったようだ。

今日はもうホテルでゆっくりしようと、地下鉄の駅まで歩く。
会賢地下街を抜けて地上に出ると、雨上がりの路上の向こうに、由緒ありげな建物が夕日に染まっており、若い男の子がそれを写真に撮っていた。
いかにも古そうなその建物は韓国銀行だが、日帝統治時代の建造物であるという。



乙支路入口駅に着き、地下に降りたところで、きれいな布をいっぱいに広げた露店を出している若い女性がいた。
何かな?と見てみると、おお!これは! 布ナプキンではないか。



生理用品探究をライフワークとするわたしは、異国での布ナプとの邂逅を喜んだ。
おねえさんに、売り物ですか?と訊こうとして「for sale?」と尋ねると、saleがセイリに聞こえたらしく、「ソウ、生理!」と日本語で答えて(?)くれて、しばしカタコト日本語&英語で生理用品談義をする。おお、異国の地で出会った出血なかまよ。
ナプキンはどれも可愛らしく、韓国らしいカラフルな色彩のものばかり。手づくりであろうか。喜んでいくつか購入。




初めて韓国で同世代らしき女性と喋れたのでなんだかうれしかった。ところで、このおねえさんは髪型をおだんごにして前髪を切りそろえていたのだが、日本でも、エコロジー的な活動をしている人はおだんご率が高いような気がする。なんでだろう。
(この後、コンビニでふつうの紙ナプも買った。これの使用感については生理用品ミシュランをご参照ください。)

地下は、昼間の雨で水浸しになっていた。ソウルはそんなに雨が多くないというから、大雨対策はあまりなされていないのかもしれない。傘を携えている人の中には、例のレインボー傘を持っている人がちらほらいて、うちもあれが欲しい、と強く思う。
さてそして、地下鉄の改札へ向かった母娘であったが、そこでトラブルが発生する。(後篇につづく)



なんかかわいい消火器








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