母娘、初めてのソウル(後篇)






■ 母 vs 駅員のおっちゃん

……(前篇のつづき)
ホテルに戻るべく地下鉄に向かった母娘であったが、緊張の糸が切れたのか、切符を買い間違えるなどばたばたした末、わたしだけが改札内に通り、母だけが改札から締め出されるというトラブルが発生したのだった。
新しい切符を買い直せば入れるはずだが、母は、

「一人で切符買うとか無理やし」

となぜか自信満々に言い張る。
券売機には英語表示もあるのだが、母ははなっから日本語以外の言語を読むことを拒否しており、ずっと切符買いはわたしの役目だったのだった。
母は、
「ちょっと駅員さんに言うてくる」
とすたすた駅員のおっちゃんのほうへ歩み寄った。言うてくるといっても、全く韓国語も英語もできんのに、どうするつもりだ、と改札内から見守っていると、母の声が聞こえてきた。

「なんやこの切符で通れへんのやけど、どないしたらええのん?」

この人には関西弁以外の言語を喋る意志があくまでない! ということを確認する。駅員さんは、「なんか困った奴が来た」というような顔で母の訴えを聞いていたが、面倒臭くなったのか、非常口を開けて母を通した。
また関西おばちゃんの勝ちか………!

ホテルの部屋に戻り、買ってきた餅を食べながら、テレビをつけてみる。
NHKを見ることができるのだが、日本語が流れてきた途端、うわっ、しんどい! 急に情報が大量に流れ込んでくる感じだ。そうか、ワカラナイ言語に囲まれるのは不便だが、情報がいっぺんに流れ込んでこないゆえ一面ここちよくもあったのか、それが旅行の醍醐味なんですなあ、と気づく。
韓国のバラエティ番組を流しながらうとうとする。うとうとしながら聞いていると、韓国語の抑揚と日本語の抑揚はよく似ていて、だんだん日本語に聞こえ始める。番組では、「カラオケ一曲歌詞を見ないで歌い終えたら○○ウォン」みたいな、日本の番組と同じ企画をやっていた。どちらがパクったのか知らないが、そんなしょーもないもんパクんな


餅屋で買った可愛い韓国餅。
米米して美味しい。


■おばちゃん軍団と古宮をめぐる

翌日は打って変わって快晴となった。
だが、やはり京都のような湿気はなく、カラリとした気持ちのよい暑さである。

母娘は、予定していた景福宮(きょんぼっぐん)に行く。
景福宮とは、1395年に置かれた李氏朝鮮の王宮である。
「ふんふん、つまり御所みたいなもんやね」。いちいち京都に置き換えて理解する母。
地下鉄景福宮駅は、いかにも観光地の駅といった感じで風情があり、そこから出てしばらく歩くと宮の門が見え、民族衣装を着た人たちが立っている。入場料は3000w。安い。

日本語ガイドによる案内があるというので集合場所に行くも、集合時間に間に合わずがっくり。だが、運良く、日本語の勉強を兼ねてボランティアで観光案内をしているという地元の男性に会い、その人に案内してもらえることになる。
われわれの他にも、九州から来たという母娘や、関東から来たという女性グループなどが集まり、おばちゃん軍団+おばちゃん見習い(わたし)で宮をめぐることになる。










「広いわあ、御所みたい」とあくまで京都に準える母。
韓国の建築は、極彩色できらきらしているのが楽しい。「デロリ」(c:芸術新潮)な色彩だ。
すると今度は、「清水寺の装飾みたいやね」。
他の各地おばちゃんも負けてはおらず、「九州の●●みたい」「こういうの、関東の●●でも見た」など、それぞれの地方の名所に準える。
おばちゃんたちは、とにかく、思ったことをすぐ口にするのが特徴である。人の話には適当な相槌を打ち、自分の話に持ってゆく。ガイドさんが一度説明したことを、さも自分が思いついたかのようにもう一度言う。最近おばちゃんデビューしたばかりのわたしも、X年後にはこうなっているのであろうか……。

宮の中には、ふしぎな動物の像がいっぱい。ガイドさんによると、宮を守る動物たちらしい。朱雀・清竜・白虎・玄武や十二支にくわえ、韓国オリジナルらしき架空の動物たちもおり、ちょっとかわいらしい。











カピバラみたいな像もあった。
しばらく奥へ進むと、池に浮かんでいるのは「慶会楼」。宴会のための建物。対岸から見るより、楼の中から池に映る様子を見るのが最高らしいが、中には入れなかった。




慶会楼は、秀吉の朝鮮出兵によって破壊されたため、比較的最近再建したらしい。けっこう最近再建されたという部分が多く、それらはたいてい、秀吉か日帝による破壊を蒙ったものだという。









迷路のような壁。ちょっとジブリっぽい風景の中をうねうねと奥へ。奥には、王様と王妃様の寝室がある。だが、装飾的な他の建物に比べ、意外に質素だ。


王妃さまの簡素な寝室。



王妃さまの部屋から見える小さなお庭。


お妃さまの寝殿周辺には、ごく小さなお庭と「健やかな子を産むための室」と名付けられたお部屋しかない。
おばちゃんたちは口々に、「かわいそうねえ」「女は子を産むためだけなのね」「日本もそうよね、雅子さまと同じね」「今も昔も同じねえ、雅子さまもかわいそうよ」。
なんか……それぞれのおばちゃんの背後の、女の歴史を感じた。



壁画


これは子供部屋から見えるようになっている壁画。動物や植物の絵がいっぱい描いてある。長寿とされる動植物が描かれているとのこと。ガイドさんがいると、このような説明が聞けるのが有難い。ガイドさんの、勉強熱心で朴訥そうなキャラクタもよかった。


ガイドさんの説明を聞く人々。


広いお庭を抜けたところには、池に浮かぶ六角堂。天気が良く空が青いので、水面によく映えている。背景には青い山が聳え、美しい眺め。



だが、六角堂の向こう側には、閔妃の悲しい事件があった寝殿がある。
閔妃の事件のことは、世界史で習ったのを思い出す度、なんとも暗い気持ちになる。
「この国の、いちばん悲しい歴史です」と俯くガイドさんに、われわれ一同も、しんみりと水面を見つめた。
ガイドさんの案内はここまで。一同、お礼を言って解散する。時間はちょうど正午。強い日差しが眩しい。六角堂の回りに広がる庭園には緑が溢れて、日本では余りお目にかかれない鳥や花が見られる。「あれは○○よ」「あれは××だわ」と、口々に知識を披露するおばちゃん軍団であった。



■生殖器とデロリ寺

他のおばちゃんたちと別れ、景福宮を出た母娘。
隣接する民俗博物館には入らなかったが、その脇を歩く。
中に入らなくても、いくつか展示物が見られた。


これは最近の作品らしい。十二支の像。
猿、いい笑顔。


そしてこの形状は……! と思ったらやはり、古代の生殖器崇拝の遺物。テンション上がったので、母にツーショットを撮ってもらう。


女陰石。



こちらは男根。



もひとつ男根。



ツーショット(母撮影)。


さて、しばらく整備された大通りを歩くと、鍾路に出た。このあたりは、美術関係の仕事をしている人が多いらしく、ギャラリーがあったり芸術家が住んでる路地があったりする。ごみごみとした雰囲気が好きなわたしは当然萌え。



さらにしばらく歩いて細い通りに入ると、そこは仏具専門店街。小さな仏像や法衣などが売られている。寺の街に育ったわたしには馴染み深い光景でもあるが、しかし売られているもののディティールはやはり日本とは違う。法衣は黒でなく灰色が主のようだし、仏像はどれも金塗りでぎらぎらしとる。


法衣。こざっぱりした印象。



こちらは小僧さん用? かわいい。



金ピカの仏像たち。


さて、この細道をしばらく歩くと、曹渓寺(チョゲサ)である。
曹渓寺は、韓国仏教の最大宗派である大韓仏教曹渓宗の総本山で、是非来てみたかったのだ。
しかし、総本山と聞いて想像していたよりはずいぶんこじんまりして、地元の憩いのお寺って感じだ。韓国はキリスト教がさかんだからか、寺自体もあまり多くないようだ。
このお寺のことも、ガイドブックには少ししか紹介されていなかったのだが、そこにちらりと載せられていた写真を見て気になっていたのだった。


本堂。


そして境内に足を踏み入れてみると、ご覧の通り目にも鮮やかな、予想以上のデロリ寺!! 感動である。
壁一面に、てらてらとした色遣いの仏画があしらわれており、素晴らしい。日本の寺も、昔はこんなにデロリとしていたのだろうか? 本堂の周りには、女性たちが大勢座り込んでお弁当を食べている。


景福宮と同様、極彩色の装飾。



金ピカの仏像が三体。



狛犬のようなもの。



横から見るとダックスフントのような体型。かわいい。



おしり。



梵鐘楼。やはり華やかな装飾。




それにしても境内には妙に人が多く、イヴェントスタッフらしき人が本堂の前に何かの会場を設営している。本堂の中を覗いてみると、えらくぎっしりと人が詰まって、立ったり座ったりしながら、熱心に祈りを捧げている。今日は何かの日なのか? と、頭上に掲げられている幕を見ると、5月に亡くなった盧武鉉前大統領の法要なのであった。本堂の脇でお弁当を食べていた人たちも、このために遠くからやってきたのだろうか。





■三寧坂、もとい仁寺洞でスイーツ行脚

次は、仁寺洞へ。
仁寺洞はお土産屋さんなどが並ぶ観光地。例の何でも京都に準える習性により、「どうせ三寧坂みたいなもんやろ」と言うて行くつもりはなかったのだが、近くまで来たので散策してみることにする。

このあたりは道がややこしい。「うわー、なんで京都みたいに碁盤の目じゃないんだっ!」と地図をくるくる回しながら悩んでいると、ランチ帰りOL風の一団が、「ドウシマシタカ?」と日本語で話しかけてくれ、道を教えてくれた。ソウルの女性は親切な人が多いなあ。

お洒落っぽい交差点から細い道を入ったところが仁寺洞。確かに、民芸品などを売る小さな店が並ぶ様子が、清水寺あたりの風景によく似ている。

お店たちをぷらぷら眺めていると、或る店頭の一角に、母が商品を隠すように突然立ちはだかった。
「ここにはなんもあらへんえ! ここにはなんもあらへん!」
こ…これは……吉本新喜劇における花紀京−池乃めだかの「ここだけは開けたらあかんぞ」「ここにだけは隠しとらんぞ」メソッドである! 母のディフェンスを振り切って背後に回ると、そこには、をを! 昨日わたしがさんざん欲しがったレインボー傘が売られていた。
「買う!」
と宣言するわたしに、「そんなチンドン屋みたいな傘やめてぇな……あんた、いつも皆の笑い者やで」と歎く母。渋好みの母は、娘の派手な色彩好みを普段から苦々しく思っており、赤鼻のトナカイ扱いをするのである。でもこの傘はソウルでは流行ってるみたいやし、ソウルのセンスはわたしの味方! とうきうきとレジに傘を持っていくと、何故か店員に笑われた。
何故!? これ、流行ってるんじゃなかったの?
下は、その後ホテルにて撮った一枚。こんな傘です。



傘ゲットを喜びながら散策を続けていると、偶然、「ジルシル」の支店を発見した。
ジルシルは、わたしが行きたかった「餅博物館」に附属している餅カフェなのだが今回は餅博に行く時間がなく、残念に思っていたところ、仁寺洞に支店を出していたとは。
ちょうど小腹も空いたところだったので、ティータイム、いや餅タイムにすることに。



ソウルの餅は、和菓子のようで可愛らしい。
われわれが食べたのは、梅餅、柚子餅、珈琲餅、サンドウィッチ餅。
サンドウィッチ餅は、餅というかもちもちとしたパンみたい。
それぞれ、わけわけしやすいように、店員さんが切り分けてくれた。
ジルシルは、店内も可愛らしく落ち着いていて、なごんだ。お茶も美味しかったし。あと、カメのロゴがかわいい。









娘希望のジルシルでゆっくりした次は、母希望の「レッドマンゴー」へ行くことにする。
レッドマンゴーは、ヨーグルト風デザートのチェーンらしく、母はやはり『とくダネ!』でこの店の情報を得て以来、
「ソウル行ったらレッドマンゴーに行く! ヨーグルトやから低カロリーやね〜ん」
と楽しみにしていたのだった。

場所が分からず、母、そのへんの露店のおじさんに、「すみませんけど、レッドマンゴーで知ってはる?」と尋ねに行く。首を傾げるおじさんに、「甘いもんの店!甘いもんの店!」。よけ分からんわ。
だが、母の念が通じて無事レッドマンゴーに辿りつく。他のチェーンは英語で Red Mango と表記されているのに、ここの支店の看板はハングルである。隣のスタバも、ハングルで「スターバックス」となっている。観光地ムードを出すためなのであろう。京都でいえば、祗園ローソンみたいなものか。


レッドマンゴー。
ロゴも内装もビタミンカラー。



スターバックス。


店に入ると、メニューも全てハングルで、何が何やら分からない。どないしょ、と思っていると、母、突然すたたたたと入口の方へ走り、「コレ!」と、そこに貼られていた美味そうなポスター写真を指差してみせた。なるほど、その手があったか……。わたしも母に倣い、ポスター指差し方式でマンゴーヨーグルトを注文。店員さん苦笑。
本当は、自分でサイズを指定しトッピングを選べるようだが、その技術はわれわれになかった……そして、やってきたデザートはめちゃくちゃ大きい。



カキ氷とヨーグルトとたくさんのフルーツを豪快にまぜまぜして食べるという、ビビンバ方式である。なるほど、コリアンカルチャー・イズ・ビビンカルチャー(c: H先生)なのだな。
フルーツはなかなか豪勢だったが、最後のほうになると氷で腹が冷えてしまった。母は満足したようだったが、「まあそんなびっくりするほど美味しいもんでもないな」とも。あんなに食べたがっていたのに……。

大通りに出て、鍾路3街の駅へ向かう。大通りは、清水坂というより原宿のようで、いろんな露店が出ている。ソウルは至る処に屋台があって、毎日がお祭のようだなあ。
タプコル公園という公園前を通る。若者の多い明洞とは対照的に、おじさんやおじいさんがたむろして、天王寺公園のような雰囲気だ。此処は、三・一独立運動が起こった公園である。公園の前に万国旗を売る屋台が出ていたが、ヒノマルはなかった。そういう曰くによるのか、単に偶然であるのかは分からなかった。


■母娘 vs カンペキなニセモノ

さて、時刻も夕方である。ソウル最後の夕べをどうして過ごすか……といえば、われわれにはまだ、土産買い任務が残っていたのであった。
いもうとに服を買ってやらねばならない。
一日目、東大門でわたしが買ったシャツと同じものがよかろう、ということになる。ガイドブックにも載っている、ちゃんとしたブランドであるらしいし。というわけで、再び東大門へ。

だが、いかんせん東大門にはファッションビルが多すぎて、最早、目的の店がどのビルに入っていたのか思い出せず、片っ端からビルに入ってみる。すると、わたしの買ったものに似ているようで微妙に違うようなものを売っている店がある。
「あれ……こんなんやっけ?」「違う! それはニセモノや!」
気づけば、どのビルにも、わたしの買ったもののニセモノショップが入っている! 「カンペキなニセモノ」は、他国のブランドやキャラクタのみならず、自国ブランドにも及んでいたのだった。うわあ、騙されないぞ!

「あ、このビルやった気がする!」
いくつかのビルを探索し、やっと、探していたビルに行き当たる。そうだそうだ、こんなところだった。記憶を辿ってファッションフロアをしばらく探すと、やっと例の店が見つかった! ニセモノの波を掻い潜り、無事辿りついたー!! と喜びながら、早速いもうと用の服を購入する。

さあさあ、これでよし、と店を出たところで、母がぽかんと立ち尽くした。
母の視線の先を見て、娘もぽかんとする。
そこには、例の店が、あった。
こっちが先日買い物した店だ。ということは、さっきの店は、ニセモノだったのか! 店舗のレイアウトまで似せてあるとは!
注意深くニセモノを避けてきたはずが、最後の最後で見事、カンペキなニセモノに騙されてしまった母娘であった。だって、本物とニセモノが、同じビルの同じフロアに同居してるとは思わんではないか!

でもそれは、ソウルではそんなにおかしいことではないようで、本物/ニセモノという意識自体があんまりないらしい。そもそも、わたしが「本物」の店で購入したものも、某欧米のブランドのデザインによく似ている。だがそんなもんなら日本にもけっこうあるよね。オリジナリティとは一体? などと考えていると、『下妻物語』でヤンキーが言った、「心意気さえあれば本物も偽物もねえよ」という台詞が浮かんできたのでした。ただし、ソウルの「カンペキなニセモノ」たちに果たして心意気があるのかどうかは別にして。

ちなみに、このニセモノ店の隣には、ドルチェ&ガッバーナのカンペキなニセモノ、「ドレス&ガッバーナ」がありました……。


■再びいろんな人と出会う

「カンペキなニセモノ」に騙されるのは意外に脱力するものであった。すっかり投げやりになった母は、父への土産として、ものすごくどうでもいいTシャツを購入。

その後、母娘は気を取り直し、会賢の新世界百貨店へ。
地下食品街は、日本のデパ地下と同じく賑わって混雑している。
市原悦子のようなおばちゃんに、「イッツ・コリアンドラヤキ!」と呼ばれ、ドラ焼きのようなお菓子を試食する。なかなか美味しい。
母、「美味しいわ、これお土産にしよ、賞味期限はいつまでですのん?」
おばちゃんは、「オイシイ?」と問い返し、韓国語で何か言う。商品の説明をしている模様である。
母、「うんうん、それで日持ちはどれくらいですのん?」
おばちゃん、また韓国語で何か言う。
分からないけど、たぶんぜんぜん噛み合っていない!

噛み合っていないことに気づいた二人は、突然崩れるように手を取り合い、互いの肩を叩き合って大笑いし始めた。おお……日本のおばちゃん&韓国のおばちゃん、分かり合えないことによって分かり合えている!! ザッツコミュニケーション! おばちゃんたちのコミュニケーションには言葉なんて要らないんだね。ということが解った、なかなか感動的な瞬間であった。

コリアンドラ焼きとクルミだんご(これも美味しかった)をいっぱい買って親族一同への土産とする。これで土産任務も完了。おばちゃんは、いっぱいおまけもしてくれた。

日の暮れつつある明洞を、ぶらぶら歩きながら乙支路入口へ。
ときどきお店を覗いたり。SKIN FOOD(食べ物から出来たスキンケア用品)や FACE SHOP(かわいいチープコスメがいっぱい)など化粧品の店は、入るだけで大量にサンプルをくれる。
昨日と違って雨が降っていないので、街歩きも快適だ。
ソウルの若者たちを観察する。女性は皆、スタイルが良く、肌がつるんとして羨ましい。男性は、兵役のせいか体格がよい。色々な店から流れてくるK-POPは、J-POPとそっくりで区別がつかない。「日本語の歌?」と思うと韓国語だったり。欧米由来のポップスにアジア言語がミックスされるとこうなるのだろうか。
明洞の路上には、暴走バイク、スタバの空き容器の山、中共の横暴を訴える集団、などなど。









ちなみに、ソウルの路上にはバイクがものすごく多いが、自転車は余り見かけない。翌日添乗員さんに訳を尋ねたところによると、
「自転車に乗ってると貧乏人だと思われるから、恥ずかしいことなんです。あたしも自転車に乗るときは、顔を隠して乗ります!」
「それと、自転車に乗ってると処女膜が破れてると思われるからです。韓国では最近まで、処女か処女じゃないかがとても大事でした、男はみんな処女と結婚したがったんです」
「男は結婚前に色んな女の人と遊ぶけど、自分の妻になる人は処女がいいんです!」
とのことであった(最後のは自転車関係ないが)。自転車処女膜論争は、ちょっと前の日本でもあったよね。バレーボール処女膜論争もあったな。まだあるのか。
それにしても、はっきりものを言う添乗員さんで面白かった。

乙支路入口の地下へ降りると、昨日の布ナプ露店が同じところに出ていて、売子のおねえさんに再会することができた。ちょうど、お土産用にも買えばよかったな、と思っていたところだったのでよかった。
おねえさんもわたしを覚えていてくれたようで、「あっ!」と駆け寄ってきてくれた。
「また買いにきた」と伝えると「アリガト!」と喜んでくれるおねえさん。一緒に写真も撮ってもらった。やはり言葉はあんまり通じなかったけど、腕とか組んで、すっかりなかよしっぽく写っています。(画像は小さくしてみました。)



この後も、「ヨコハマに留学していたことがある」という老婦人に「日本人?旅行?」と話しかけられ、しばし談笑したり。ソウルのおじさんはむすっとしているが、女性はフレンドリーだという印象を受けた。

■最後の晩餐@便所

さて、後はもう地下鉄に乗ってホテルに帰るだけである。
ここで、これまで一切切符買いを娘に委ねていた母が、突然向上心を発揮した。

「これから一人でも地下鉄に乗れるように、自分で切符を買うてみる!」

これからも何も、われわれは明日の早朝にシャトルバスで空港へ向かうので、(少なくとも今回は)もうソウルで地下鉄に乗ることはないわけだが……。しかし、向上心に燃える人にそんなことは言えない。英語表示を見ながら、なんとか母、切符購入に成功!
「買えた……買えるもんなんや!」
まさに、はじめてのおつかいの子供のように、自信を深めた母だった。

さて、その切符で地下鉄に乗ってホテルのある駅で降りる。
さあ、早く疲れた足を休めたい!と思って降りた駅の風景は、ところがまったく見覚えがないものであった。
表示を見て脱力。反対方向に乗ってきてしまったのであった……。切符を買えた時点で安心してしまい、気づかなかった……。最後の最後で失敗だ。
「まあ、これも勉強や」
という母の言葉に、しょんぼりと再び切符を買い直す。勉強したところで、もう地下鉄に乗る機会はない。電車の中では学生風の女の子が熱心に、『NANA』1巻を読んでいた。


間違いに気づいた瞬間の一枚。


そんなこんなでやっと正しい駅に到着。駅からホテルへの道に、特徴的な照明器具屋がある。これをわれわれは、ホテルへ帰る際の目印にしてきた。たった三日間のことだが、このお店を見るとほっとする習性がついてしまった。
「なんの関係もないお店やけど、この店見ると、帰ってきたなあと思うてほっこりするわ……」と母。名もない日本人旅行者によって自分の店が心の支えにされていたとは、照明器具屋さんもつゆ知らずであろう。


件の照明器具屋。



ホテルの周辺は小さな商店が並ぶ。
我が地元に少し似てた。



お世話になったコンビニで。
ストローもカラフル。


最後の夕食は、ホテルのレストランで豪勢にすることにした。
カルビが美味しい韓国料理店らしい。母はずっと、「カルビが食いたいぽよよよよ〜」と言うてたし。
レストランは、「紅鶴」という名前。Hang-Hak と読むらしいが、母はホテルのフロントに、「あのー、ベニヅルの入口ってどこですのん?」と尋ねに行った。迷いなく日本語読み・しかも訓読みである。
すると、困ったフロントの人は上品な笑顔のまま訊き返した。
「ん?? ベンジョ?」


ベニヅルの謎メニュー。
「獣肉るつぼ」…なんか野性的。


われわれは美味しい焼肉やチヂミや石焼ビビンバに舌鼓を打ちながら、何度も、「ベンジョ?」と尋ねたおじさんの上品な笑顔を思い出し、笑った。便所といえば、旅行で困るのはいつもトイレだが、ソウルのトイレは、今回入ったところはどこもきれいで特に困ることはなかった。オリンピックの際にずいぶん整備されたとも聞いた。ペーパーもちゃんと設置されていたので、母のはるばる日本より持参してきたロールも出番が無かった。トイレ表示も分かりやすかったので、わたしの覚えた「ファジャンシルンオディムニカ」も活躍することがなかった。







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