シフォン論#9-1 何故ロッカーは痩せていなくてはならないか/或いは、戦略としてのロリータ (前篇)




悪霊どもを追っ払って
透き通る体を手に入れろ
湿った肉を削ぎ落として
乾いた骨でかっこつけろ
(昆虫ロック/ゆらゆら帝国)


「あたしは一グラムでもふとりたくはないんです。いまでもあたしは自分の肉、この悪魔のような物質の塊が重たくてやりきれないんですの。あたしがこれ以上ほかの物質をとりいれて同化するなんて、それを考えただけで……」

「あたしにとっては、存在世界の社会的構造がAであるかA'であるかということはどうでもいいことなのです。Aに反対してA'に変革しようとすること自体、この存在世界への堅固な所属の証明ですわ。ところがあたしはそういう堅実な顔をもった世界から逃げだしたいのです。どこにもない、存在の重力を欠いた場所へ……」
(倉橋由美子「どこにもない場所」、新潮社『倉橋由美子全作品2』82-83頁、57頁)








「もともとは、パンク・ファッションに憧れてたんだけど、パンクは痩せてないとダメだから、諦めたの。でも、ロリータなら太っててもOKだから、ロリータが流行り始めたとき、これだ!と思ったの」
いわゆる「ロリータ・ファッション」――お姫様のようなフリルのついた、大きく広がったスカート、あたまにでっかいりぼん――に身を包んだ女の子が、「どうしてこんな服装をするようになったのか? 」という問いに対してそう語るのを聞いて、なるほどなぁ!と膝打ったのでした。

なるほどなぁ! と思ったのは、――実際「ロリータなら太っててもOK」なのかどうかは措いといて、――「パンクは痩せてないとダメ」ってトコでした。パンク・ファッションてのはそもそもはパンク・ロッカーたちのそれに由来しているわけですが、なるほどそういや、97年、セックス・ピストルズの再結成来日公演を観に行った知人が興奮気味に語ったのは、
「ジョン・ライドンの腹が出ていたっ!」
というひとことのみでした。その他、どんな曲が演奏されたか、そのパフォーマンスの如何、等など、腹以外のトピックについて彼女はついに語りませんでした。

そもそも、なべてロッカーてうものは、痩せてなくてはならないようです。
以前、「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に出演した X-JAPAN の hide(故人)も、「子供の頃は太ってたけど、痩せてロックするんだ、と思ってたら気合で痩せた」というようなことを語っていました。
hideが生きていた頃ですから、この発言を聞いたのは自分の高校生頃だったと思いますが、そのときからひとつの疑問がわたくしに巣食ったのであります。
曰く、何故、ロッカーは痩せてなくてはならないのか?


「気合で痩せる」とはそりゃあたしかにロックですな。しかしそもそも、どーして「太って」いては「ロック」できないのか? どうも「太っていること」は、お昼のバラエティ番組に出演すること以上にロック的にNGなようです。何故? 人前に出るんだしスリムな方が見栄えがするよね、とかいうだけのことでもなさそうです。ロックンロールとは個性を肯定してくれるものではないのかい? セックス&ドラッグ&アルコホルは肯定されても、デブは肯定されないのかい? という件については彼は語らず、どうやらデブNGは暗黙の前提とされている様子でした。


そんな暗黙のうちに共有された、いやいやロックとデブはもう絶対に相容れないものなんだぜ! という強迫的命題を見事に著してみせた点で、中丸謙一朗著『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、2002)は名著(名ダイエット本)であります。若き日にはロック・ミュージックに親しみ、スリムな革パンに身を包んでいた自分が、中年になっていつの間にか肥大した腹をジャージで包んでしまっている! これじゃいかん! と焦った著者は、一念発起し、「いつも心に革パンを」を合言葉に減量を始めます。

伝説のパンクロッカー・セックスピストルズのシド・ビシャスは、「パンクとはアティチュードだ」という名言を残しました。その伝で言うと、ダイエットとは態度、つまり、痩せていようとする日頃の態度です。(上掲書、29頁)


「デブ≠ロック」強迫を著者は、痩せようとしつづける姿勢こそがロックなのだ!という更なる強迫へと暴走させてみせ、さまざまなロックの名曲に元気付けられながら、減量に励みます。そうしながら、「ダイエットに勤しむロッカー」という、「デブのロッカー」よりも更に滑稽な事態になるのを如何に回避してかっこよく痩せるか、を模索するオカシサがこの本のキモなわけですが。そのダイエットの成果の如何については本書をお読みいただくとして、で、なぜロッカーは痩せていなくてはならないのか。
その理由をこの著者は、ロックの「スピリッツ」に求めています。ロックのスピリッツ――それがどういうものであるのか明瞭な解説はされていませんが、ひとつのイメージは「不安定さ」です。


ドアーズのジム・モリスンは、コンサートの時に、ステージのエッジの部分をよろよろと歩き、その不安定な感じを楽しむようにオーディエンスを挑発し続けていました。もちろん、その時の格好は「リザード・キング」と称されていた、全身革のコスチュームです。その「不安定さ」にロックのスピリッツが存在する。私はジム・モリスンからそのようなことを学びました。(上掲所、71-2頁)


不安定であるがゆえの輝き。刹那性、反骨性、ジュブナイル性、少年性、とも表現できそうなそのスピリッツは、どうも、或る種の理想的身体像と不可分な関係にあるようです。
では、一方で、それに対置されるものは何か。
まず、でっぷりと安定しきった中年体型です。同じ「不安定」であっても、飽食へとふらふらと堕落する不安定は×なのです。そして痩せるにしても、女性誌のアドヴァイスやなんかに従ってダイエットしちゃうことも「ロック」じゃない! とのこと。
「ロック」はいろいろ大変なようです。

そして、そのようにして志向されるところの「ロック」な身体像は、私たちの理想的身体像と限りなく近しいものです。



「何故ロッカーは痩せてなくてはならないのか?」
というこの疑問が私のひっかかりとなったのは、そう、それが、自分の身体と女性性をめぐる諸問題と密接に関わっているように思えたからでありましょう。

「ロッカーは痩せてなくてはならない」という命題において「ロック」と皮下脂肪との間に設置されたこの隔たり。
この隔たりは、ロックと女、の間に置かれているらしいワンクッションに似ています。
以前、ロック少女である姉がこう語ったとき、私は大いなる共感を以ってそれを聴いたのでした。

「ロックにおいて、男であることはそれだけで特権的なことのような気がする」

もちろんかっこいい女性ミュージシャンもたくさん知ってる。ジャニスもパティ・スミスもスリッツもPhewもロックだ。でも、音楽において男であることは、それだけでなにかひとつ資格を満たしてる気がするんだ、と。

これは、姉や私が、そのような言説のもとで育ってきた世代である、ということのせいでもありましょう。(世代、と申しましたが今でもそうなのでしょうか。)
音楽雑誌を開けば、「男性ファンが多い」というフレーズが「このバンドは本格的なロックバンドだ」と同義で使われているし、好きなバンドマンは「最近ライブに男の客が増えた」とうれしそうに語り、「女のファンばっかりだ」と不満げに語る(註1)。 「女流文学」のアレと同じく、女性ミュージシャンは「女性」という枠でひとくくりで、必ず「女性」という修飾語のもとに語られ、女性というだけで亜流扱いだ。

ロック・ミュージックが、抑圧された者、虐げられた者、持たざる者の音楽である(そんな考え自体が既にもういにしえのものなのかもしれないが)とするなら、まさに歴史的に抑圧され虐げられてきた者である筈の「女」であるということとロックを聴くということが、相容れないこととして感じられるのはなぜであるのか?
ロックを聴くことと自分が女であるということとの間に、何か和解しがたいものが存在するという、そのどうしようもない実感は、かの永田洋子の言った、
「女はその弱さのゆえに、生きていくために男に媚びようとするから、存在そのものがブルジョワ的だ」
という考えに近いところから生じているようにも思います。
これは先に述べた「スピリッツ」とも関わっていることであって、ロックてのは、体制的であってはならず、世界と狎れ合わず不安定でなくてはなりません(これももはやいにしえのロッカー像なのかもしれませんが)。ロッカーが痩せていなくてはならないのは、この為です。肥えていることは、世界に飼いならされこの世の汚濁を疑問も抱かず摂取している証拠です。
よって、わたしたちのもつ、皮下脂肪を蓄えた身体は、ロックと相容れないんだ!
またわたしたちのもつ弱さや、それゆえの媚や依存や、受容するための凹型器官は、カッコよくないんだ!


だがまた、それだけでもない。
音楽は、それが紛れも無く人の肉体から奏でられており、人の身体性と不可分でありながら、聴く者を身体から遠く連れてゆくという効果をもちます。
そうだ音楽を聴くことは、重さを失うこと、無性になることであって、で、音楽を聴いているときの高揚と、ステレオのスイッチ切ったときに残されたあたしのこの身体、どうしようもない異和感を感じるこの重さ。これは、あたしの好きな音楽と、どうしても、相容れないものなのだ。





<或る90年代の物語>

憧れに相反する自分のカッコ悪さ、屈従、愛想笑い、馴れ合い、そうしたものがすべて、性別化された己の身体に、まるみを帯びた身体に、集約されている気がする。 皮下脂肪で肥え太っていることは、体制に養われている証拠であるような気がする。
逆にこの脂肪が一気に剥がれ落ちれば、すべて変わるような気がする。
どこぞで集団自殺した宗教団体の女の人達は、髪を切り落とし乳房を削ぎ落としていたそうだがその気持がよく分かる、と思った。
そこへテレビで、がりがりに痩せた女の子が話してるのを見た。
「……をきっかけにごはんが食べられなくなってしまって、……kgまで体重が落ちたんです」
画面が切り替わって精神科の医者が何か言う。
「最初は軽いダイエットから始まることが多いですが、摂食障害は危険な病気です」
医者の談話とともに画面に映し出された身体は、針金のようで、青白い。
「こんなに痩せても、患者は、自分が太っていると思い込んでいました、認知の歪みです」
おどろおどろしいBGMに載せたナレーションとともに、浮き上がった背骨、鎖骨、刺のように尖ったあばらの映像。テレビの前のあなたは身を乗り出したのだった。美しい! 「うわあ」「やだあ」という、眉を顰めた声がスタジオから洩れる。うるせえ歪んでるのはおまえらの認知のほうだ。これは、理想の身体だ!
「患者の深層心理には、女であることへの嫌悪、女性性の拒否という心性が横たわっていることがあります」

女性性の拒否、それだ!
精神科医よ、ありがとう、それはあなたの希望を的確に言語化したフレーズだった。そうだったのか、女性性の拒否か。で、拒否するには食べなけりゃよいわけか。それはあなたにとって大発見だった。精神科医は深刻げに声音を落としなにやら言い続けている。
「体重の減少が続きますと、生理が止まり、子供が産めなくなることもあります、こうなると大変危険な問題です」

なんで? とあなたは思う。それの何がモンダイなのだか分からない。それで脅したつもりなのか?
それがモンダイならおまえが毎月血を流せばよい。こちらにとっちゃ、生理が止まるなら望むところだ。意志に反して孕みうる身体など最初から欲してなかった。あのじくじくと湿潤した胎内に別れを告げて、いつもからりと乾いた身体を、体重も体温もないシンプルな骨を、食べさえしなければ得られるのである!

あなたは毎日体重計に乗る、顕著に直線的に数字は下降してゆく。これは愉快。愉快な儀式の頻度は増える。一食抜くたび乗る。排泄するたび乗る。朝起きてまず確認するのは浮き出た肋骨。うっとりと撫で回す。それは凄まじい万能感だ。もう食欲も無い。自分で自分の身体を完全にコントロールしている。面白いように数値が下落するのは、世界の株価を動かしているのに似た気持ち。このまま彫刻みたいに削りつづけて、自分の身体を無くしたい。


でも或る日、家にあったスナック菓子を、最初はひと口うっかり口にした。気がつけばそのままひと袋カラにした。あ、しまった、やってしまった、と思う。翌日また、思い出す。ひと袋だけ、食べれば気が済む、と思ったのに、余計強まったこの飢餓感は何か。食欲は消えた気がしたのに。親の財布から小銭をくすねて近所の食品店ダイトモへ。これでやめよう、と思う。でも食べてる間は何も考えられない。そうすると、通学路のコンビニや家の冷蔵庫に潜んでいた食べものが急に色彩を帯びて現前し始める。茹でたパスタ。牛や豚や鶏の肉。シフォンケーキ、チョコレート、ホイップクリーム。湿った唾液の分泌。
摂取しちゃった。しなかったことにしたい。どうすればいいのか? テレビで見た、あの子のように、すればいいのか?
「……そのうちに、食べても吐くようになりました」
「……以前の反動で、いつも食べ物のことで頭がいっぱいで、帰宅しては部屋に隠れ、食パンを一斤とか、お米を何合もとか、その後トイレに行って、全部」

画面に差し出された指には、たくさんの吐き胼胝。喉に指突っ込んだり、食べる食べないで親と争ったり、明日は食べまいと決めたりやっぱり食べて自己嫌悪で腿にシャーペン突き立てたり、なんだ変わってないではないか、これではかっこ悪いまま、身体から逃れられぬままではないか!


或る日あなたは気づいた。食欲を否定するのは無理だ、ならば食欲を他人におすそ分けしてやろう。周囲にやたら食べさせようとするのは摂食障害っ子の常で、甘いものや脂っこいものへの偏愛を周囲にも押し付けるべく、日がな台所で、ぷるぷる震えるお肉を甘辛く煮たものやら、お砂糖をいっぱい入れたクッキーやら、作り始めたら、するとどうであろう、「お菓子作りなんて、女の子らしいね」と言われた。「いいお嫁さんになるねえ」と言われた。憧れであったスリムなジーンズはやめてフリルのエプロンを着けてみた。「最近娘さんらしくなって」と誉められた。それはあたしへの誉め言葉の筈だが、あたしのことを言っているのではないかのよう。本当のあたしは、フリルの陰に隠れて張りぼての自分を眺めているようだ。なんだ、なんだ、身体を無くす方法は、むしろここにあったのか。「女性性の拒否」のために闘っていたころは、誰も誉めてくれなかった。それが「女性性の受容」をしたふりを始めたら、皆にこにこし始めた。だが、誉められるとき、誉められるあたしはもうここにいない。これは面白い。
あなたは食べないことを休戦した、痩せることに執着するのをやめた。やめたけれども、その快感は逆説的に、ダイエットの快感に似てた。
ゲームのように数値が下って自分の体をシェイプしていく快感と、ゲームのように賞賛を得て女の子らしさを誉められる快感。だけどどちらも身体を無くす快感、自分を無くす快感であった。






私が高校生になった90年代の半ばは、「女の子」的なものや、それまで女子供のものとされていた文化を、ポジティヴに評価しようとする気風が出てきた時代であったと思います。
折りしも「女子高生ブーム」なるものが起こりかけていたところへ、オウム真理教事件が起こり、しゃかいがくしゃのひとが、「男の子」的な理想は行き詰った、男の子的な「革命」はもう不可能だ、これからは「女子高生」的な「まったり革命」だ、みたいなことを言っていた時期でもありました。この論自体の是非は別として、とまれ、それまで「革命」的なものにおいて否定的な要素でしかなかった「女性性」をポジティヴに捉え返す視点が、見出されようとしていたのだと思います。
「女子高生ブーム」の中心として脚光を浴びた「コギャル」だけでなく、「オリーブ少女」だとか「キューティー少女」だとかの、「かわいい」「ガーリー」といった価値観が公に語られることが増えたのもこの頃であったと思います。それらは、成熟した女性性というより少女性を前面に出したものであって、つまり、男社会の価値観においては有用性からより遠くにあるものであり、それゆえに、男性的なものへのアンチとして語られ得たのでした。上で述べたごとく「ライブに男の客が増えたぜ」なロック雑誌にも、こんな文章が載っています。

おいしいものを口に入れた瞬間顔をクチャクチャにして「おいしー」と叫びながら足をバタバタさせるのはいつも女の子だった。しばらく会わなかった友達にバッタリと会った時「わぁ、久しぶり」と言って抱き合うのはいつも女の子だった。しょうこりもなくまた一つ新しく見つけたぬいぐるみを買ってはニコニコしながら枕元に置いて眠るのはいつも女の子だった。好きになった人を見つけては、勝手に永遠を夢見たり、終わりを思ったりして笑ったり泣いたりするのはいつも女の子だった。海辺で星を見ながら、何故? でも、何のために? でもなく、ただ宇宙が自分を包んでいる事にうっとりするのはいつでも女の子だった。"今"と"永遠"との間でうろたえる事なく、今日の次には明日が来る事を知っていて朝になれば洗濯をするのはいつでも女の子だった。(『Rockin'on JAPAN』1994年10月、小沢健二『CITY COUNTRY CITY』へのレヴューより) (註2)



所謂ロリータ・ファッションが(いくらか)市民権を得たのも、この頃であったと思います。(註3)
ゼロ年代には「ゴスロリ」という言葉が人口に膾炙し、コスプレの一種とされて認知された感もありますが、当時ロリータ・ファッションは、かなりの「発明」であったのでないでしょうか。少なくとも私には。「パロディとしての女の子」という選択肢を与えた点で。
MILK や Emily Temple Cute や Jane Maple の他、新しいブランドも沢山登場しましたが、共通するのは、まったく有用性から遠いファッションであるということ。この頃、私の住む町の繁華街でも、大きく広がったピンクのスカートに白いニーソックスを履き、金髪にレースのヘッドドレスを付け、ぬいぐるみを抱いた女の子たちがロッキンホースで闊歩している様子を見るようになりました。田舎のことであるから道行く人たちは振り返って笑ったり揶揄したり。でも、こうしたファッションは、テレビを通じて認知度を上げてゆきました。イロモノタレント扱いではあったけれども「ロビンちゃん」はロリータの代名詞でしたね。またジャージにフリルのスカートというコーディネートやティアラを流行らせたのは、この頃登場した千秋ちゃんでした。とりわけ当時の女の子がこぞって真似っこしたのは、JUDY AND MARY のヴォーカリストとしてデビューした、YUKIちゃんでした。童顔で甲高い歌声をもつ彼女は、正統派の美女でも強そうなロック姉ちゃんでもなかった。彼女を見て、「これならあたしにもできる!」と思った女の子は無数にいたことでしょう。文化祭にはコピーバンドが乱立し、ちょっと童顔だったり背が低かったりする女の子は「なりきりYUKI」になっていったのを覚えています。
この文章の冒頭で発言を引用した女の子も、「パンクファッションを諦めた頃に、YUKIが出てきて、これならいける!と思ったの」 と語っていました。その後はポップ歌手として人気者になっていったYUKIちゃんですが、デビュー当時は「ロリータパンク」と呼ばれていたのですよね (註4)。パンクとはいえど政治性とは程遠そうな可愛らしい唄に、可愛らしい声。「女性性を拒否」して「ロック」するのではないやり方をYUKIは示したし、また、かといってそれは母性やセクシーさといった女性性でもなく、日本の女の子的な幼さをフィーチャーしたものでした。それを見て、「これならいける!」と思ったという彼女の気持ちはよく分かります。「パンク」であるためにはシャープであらねばならず女性的身体を拒否せねばならないと思っていた彼女は、拒否しきれなかった女性性の受け皿として、「ロリータ」という戦略を見出したのでしょう。よって、冒頭の「太っててもOK」という発言につながります。

ともあれこれら一連のブームの中で私が感じていたのは、それら「女の子」性をフィーチャーしたファッションにつきまとう、パロディっぽさでした。「ああ、こういうやり方があったんだ!」と私もまた、感銘を受けておったのでした。過剰なフリルとレース、苺やお花やくまちゃんのモチーフ、それら「女の子」記号を過剰にまとった女の子たちはまるで、「女の子らしさってこういうのでしょ? 私はあえて、これを纏うの。そして何重にも重なったフリルのせいで、あなたは私に触れられないのよ」と言っているかのように見えたのでした。まさに嶽本野ばらが言ったところの、「解読不能な玩具のふり」。
ところでたとえば。
摂食障害の女性の基本的心性には、「女性性の拒否」があるとされてきました。よって、摂食障害の治療論では、患者が「女性性を受容」できることが治癒の目印とされることがあります(現在では少し状況は変わっているのかもしれませんが)。或る臨床家の方の本では、そこで挙げられているいくつかの症例において、治癒前・治癒後の患者の服装が対比されていたのが印象的でした。たとえばこのような具合。

「改善前のEは服装、振る舞いともに男っぽいものであった。髪は短く、手入れもせず、化粧気もまったくなかった。服はシャツにジーンズといったボーイッシュな格好を好んで着た。振る舞いや言葉遣いもなげやりで荒々しく……(略)」
「しかし、治療での改善後、こうした様子は一変した。Eは化粧をはじめ、女性らしいスカートやししゅうの入ったストッキングを装うようになった。身辺をかまいはじめ、女性らしさを漂わせた」(松木邦裕『摂食障害の治療技法 対象関係論からのアプローチ』金剛出版、1997、p.101)

あまりにも図式的すぎてまるでダイエットの「使用前/使用後」広告のようではないか!と言いたくなりますが、ふと思ったのは、「改善後」のファッションが、同じ「女性らしい」ものであっても穏当なものでなくて、過剰に女性的なものであったならどうだっただろう? 過剰に可愛らしい色や柄の、街じゃ浮いてしまうフリルのドレスだったら? それでもやっぱり「女性らしさを漂わせた」ってお書きになる? いえいえ、そうなったらそれはむしろ、鎧としての、ファルスとしての、女性性、ではなくッて?


と、私にとって、ロリータファッションブームというのはそのようなものでした。女の子らしさを否定するのでない、でもけっして、「女性らしさを漂わせた」なんてしたり顔で書かせたりしない、つまりパロディとしての女性性、という可能性を、それは示唆してくれたのでした。そしてそれは、鎧としての可能性をもっていたのです。

私はフリルのお洋服を着よう。私はお菓子作りや編み物に勤しんでみよう。それは精神科医には「女性性の受容」に、治癒的プロセスに見えたでしょう。だが先生、これはパロディに過ぎない。だから私はここにいない。
たしかに私は最初一通りしか知らなかった、皮下脂肪を削り少年のような身体になって女であることを否定する戦略しか思いつかなかった。だが私はここへ来て、「女性性をパロディとして纏う」というオルタナティヴを手に入れた。それはひとつの折り合いのつけ方でした。
その頃の、一種の万能感みたようなもの、あたしはパロディをやってるんだ、という含み笑いの気分。その感覚を実に上手く表現した作家が、倉橋由美子でした。

後篇へ続きます)



(註1)
以前、或るロック少女(ネットで知り合ったのですがその後行方が分からなくなってしまいました……もしも読んでおられたら連絡ください、もう一度文章を読みたいです)が、このような「ロック」観を「オスロック」と呼んでいて、上手いこと言うたものだと思ったことを覚えています。なお、オスロック観のもとで持ち上げられたバンドとして彼女が念頭においていたのは、当時全盛期であったミッシェルガンエレファントでしたが、一人称からも地上の性からも驚くほど自由であったミッシェルが、「男のロック!」という言葉でばかり語られていたのは何という語彙の貧困、思考停止であろうか! と今でも思います。

(註2)
今となっては、へっ、と思います。
こんな砂糖菓子だけが女の子なもんか、少なくとも私はこの女の子像から疎外されている、と。いや、分かっているのです。この後に、「僕にとって、音楽を聞くことは自分の中の"女の子性"に向き合うことだ」と続くことでも分かるように、ここで書かれている「女の子」像は、けっして現実の「女の子」と同義ではなく、性別問わずわれわれの中に潜在している可能性の象徴としての「女の子」なのでしょう。つまり、これまで軽視されてきたものでありながら、新しい世界を切り開きうる、「男の客が増えたぜ」的マッチョ原理に対抗しうる可能性の象徴としての「女の子」像なのでしょう?
分かってはいるのですが、しかし何故その可能性を表すのに「女の子」という言葉が必要であるのか、これまでの歴史において「女の子」というものはさんざんそのようにしてそのイマージュを搾取されてきたのでなかったか、というモヤモヤも感じてしまう訳です。

(註3)
というのが私の実感なのですが、ファッション史にはまったく詳しくないため、「ロリータ・ファッション」という用語、またはそのように呼ばれるファッションがいつ頃確立されたのか云々については全然知らないのです。気にはなっているので、詳しい方がおられましたらご教示いただき度く。

(註4)
この「ロリパン」の系譜についても、気になっているのですがよく知りません。何か元ネタがあるのでしょうか、それとも日本オリジナルのものなのでしょうか? 日本では、80年代の戸川純とかあのあたりが前史なのかなあと思うのですが……どうなのでしょう。

付記)
女性学の領域でのロリータ・ファッションの研究としては、水野麗さんの論文「「女の子らしさ」と「かわいい」の逸脱――「ゴシック・ロリィタ」におけるジェンダー」(『女性学年報』25号)を読みました。ロリータ・ファッションを好む少女たちへのインタビューを基にしたものです。
私は、自分自身の傾向に基づいて、「あえて・武装として・戦略として・パロディとして」こうした格好をしているのだ、といった少女らの語りが読めるのでないかな、と予想していたのですが、予想に反して論文中では、単に「かわいいから・好きだからこういう格好をする」という屈託ない答えが多数でした。「やっぱ女の子だからかわいくありたいと思うじゃん」「なんでかわいくありたいのかはわかんない」(p.115)
本文で述べたような「ロリータ・ファッションはパロディだ!」という私の感覚は特殊なものであるということなのか、あるいは、同じように感じている少女はおれどたまたまインタビュイの中にいなかった、あるいは言語化されなかったのか、は不明です。なお、筆者は、彼女らのいう「かわいい」が必ずしも規範的な「女の子らしさ」と同一ではないことを指摘しています。
ちなみにこのインタビューで素晴らしいのは、インタビューされる少女らの服装だけでなく、インタビューする著者の側の服装についても記されている点です。たしかにインタビュアーが完全な部外者であり得ないからには、これは重要ですよね! (社会学の調査では普通なのでしょうか? 少なくとも精神医学の症例記述で、医師の側の服装や髪型に言及したものはあまり見かけません。)また、「ロリータ」だけでなくそれと対(?)になる「王子」ファッションへの言及もメインになっています。







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