かつてその店があった場所は、その後何度かのテナントの入れ替わりを経て、今はチェーンの飲食店になっている。
小学3年生の頃だったか、小学校でラーメンブームがあった。
「好きな食べ物」アンケートをとると、クラスのほとんどの子が「ラーメン」「ラーメン」と書いていた。
小学生だったわれわれにとって、ラーメンはなんだか、ちょっと大人な、カッコイイ食べ物やった。
けっして高級ではなく、庶民的な感じがするところがまたかっこよかったのだろう。
刑事ドラマかなんかで背広姿の刑事がふたり、厄介な事件が解決した帰りにいつもの屋台で「いつもの、二つ」と注文しいなせな会話を交わしながらはふはふ食べる感じ(なんだそのイメージは)、または、大学生のお兄ちゃんとかが、勉強でちょっと夜更かししてふらっと夜食に食べに行く感じ、とそんなイメージ。カラダに悪そうなところもかっこよかった。
クラスでは、ツウぶった男子が、「オレ、親父に●●のラーメン食いに連れてもらうねん」「●●のラーメンうまいよな、▲▲もうまいらしいぞ」と大人びた口調で吹聴するのがかっこいいこととされており、それを聞きながら私も、一度ラーメン屋というところに行ってみたいよう、と思っていたのだった。
我が家はほとんど外食をしない家庭だったし、母はジャンクなものを与えることには比較的慎重なタイプだったので、私のラーメンへの憧れは長い間憧れのままだった。
だが或る日、家族でスキーに行った帰り、ふと父が
「たまにはラーメン屋にでも行ってみよか」と言い出した。
暖簾をくぐりながら、興奮は絶頂であった。憧れのラーメンを、今から、今から食べられるのだ。
●番ラーメンの店内に入り、テーブル席に通された。「これがラーメン屋かー」と私はしみじみ思った。
メニューには、何とかラーメンというのが色々あった。私は「バターラーメン」というものを注文した。両親は、醤油ラーメンだか味噌ラーメンだかシンプルなものを注文していたように思う。
ドキドキしながら待つことしばし、バターが一面に浮いたラーメン鉢が運ばれてきた。「ヘイお待ち」の声とともに。
ついに、今から、夢のラーメンを食べるんだ〜。わーい! いただきます!
……
…………
ところが、である。
どうしてだ。
減らない。
なぜなのか、食べても食べても減らないのである。
箸で麺を口に運んでいるはずだ。だが食道の辺りに何かがつかえているかのように、喉を通らないし、器の中のラーメンは一向に減らない。
なんか、思ったのと、違う……?
バターがこってりしてるせいで何か変なのかな?と考え、親の食べていた醤油ラーメンだか何だかを横から少し失敬したが、それに対しても特に感動は生まれなかった。
なぜなんだ……? そのうち、お腹のあたりにずしーんとした重い感じが広がり、私はそれ以上食べられなくなった。
運ばれてきたときとほとんど量が変わっていないかのような(実際麺がのびて増量していたと思われる)ラーメンを前に、私は愕然とした。想像では、ずるずると瞬く間にごちそうさまできちゃう憧れのラーメンではなかったか。
憧れの食べ物であったはずのラーメンを最後まで食べられなかった……。ショックだった。
見ると、親の器にも妹の器にも、半分以上残っている。
「行こか……」われわれは、言葉少なに店を出た。
そして翌日、私は熱を出して寝込み、学校を休んだ。「スキーで疲れたんやな」と母は言い、そういうことになった。いや、実際そうだったかもしれないのだが、私はなぜか、スキーのせいではない気がした。
今になって思い返すと、端的に、そのラーメン屋のラーメンは「不味かった」のだ。
しかし、小学生だった自分には、「不味い」というシニフィアンが降りてこなかったのである。
憧れの、夢の食べ物。みんな美味しいと言ってる食べ物。そんなラーメンが「不味い」などという事態が存在する筈がない!
この「不味いはずがない」という信仰と、「しかし不味い」という厳然たる事実。そしてその事実を徹底的に抑圧しようとしたがための葛藤。それらによるエネルギの消耗が小学生の私をして発熱という身体症状にまで至らしめたのかもしれない。(これは、転換型ヒステリーの構造!?)
「不味い」と言語化されることのない不味さは、ただただ混沌として茫漠とした、得体の知れない驚異であった。私はそんな得体の知れぬ、ゆるいカーブ鈍い音のバケツの中、あふれかえるラーメンの山、かき分けてかき分けてそうして、斃れたのであった。
私はそれからなんとなしにラーメンを食べなくなり(ラーメン屋に入っても唐揚げセットしか頼まないという今考えればひどい所業を続けていた)、やっと20代になってから或るラーメン屋でやむをえずラーメンを注文したところ「えっ、何これ、うまいやん、食える食える、完食できたわ!」となり、ふつうのラーメン好きになったのであった。
友人らも同じ心の傷を負っていたことが判明したのは、あの日からずいぶん経った頃であった。
或るとき、幼馴染みの友人たちとラーメンの話題になったとき、友人Mが思い切ったように、
「●番ラーメンってさ、不味いよな」と発言したのだった。
そうか、そうだったのか! あれはやはり「不味かった」のか! 「不味い」と表現してよかったのかっ!!と気付いたのである。
ともあれ、物心ついた今一度、あの●番ラーメンに行って、本当に不味いのか、どのように不味いのか、どれくらい不味いのかこの舌で確かめてみたい気もする。
そして、不味ければ思いっきり「不味い!」と口に出してみたい。
だが冒頭に記したように、(当然ながら)●番ラーメンはもはやこの世に存在しない。
ああ、これが、フロイトの言うところの、(心的外傷の原版としての)幼年期はそのものとしてはもうない、ということなのか………
………としみじみしていたところへ、なんと、もとの場所から少し離れた場所で店舗を拡大して営業を続けていることが判明! どうする!? さあ、どうする!