初潮の夜の夢






大方の人がそうであろうように、子供時代に見た夢というのはその多くが忘れ果てられてしもうた(というかもとより覚えていない)のだが、いくつか鮮明に(或いはぼんやりと)記憶されている夢もあり、所謂「初潮」の訪れた日の夜に見た夢は、そうした夢のうちのひとつである。

その夜は馴れぬ出血感覚になかなか寝付けなかったのであるが、夜明け前にやっと寝付けたと思いきや見たのは、こんな夢であった。


小学校の中庭を、ひとりで歩いていた。
何ら変哲ない、日常の光景である。
そこではたと、気がついた。

「あ、これは、夢だ」
夢の中で夢だと気付く、ということはしばしばあるけれども、これがそうした気付きの初体験であったと思う。

「夢だ」と気付いたが夢は醒めず、夢の中でこう考えた。

「どうせ夢なら、目が醒めてしまう前に、夢でしかできないことをやろう! よし、さかあがりをしよう!」

さかあがりとは周知の通り鉄棒の技の一種であるが、このさかあがりなるものの出来不出来が小学校生活にどれほどの影響を及ぼすか・日本の義務教育期間においてさかあがりのできぬ生徒がどれほどの迫害に耐えて日々を過ごさねばならないかということもやはり、よく知られた事実であろう。
そしてその「さかあがりのできぬ生徒」であったわたくしは、夢であるのをこれ幸い、鉄棒の前へ駆けつけて、いざ、人生初のさかあがり!

の、筈であった。

ところがそのとき、なぜか(夢の中の)脳裏に次のような罪悪感がよぎり、それがさかあがりを逡巡させたのであった。

「いや、夢であるからといって、夢であることを利用して、実際の実力ではできないことをしてもよいものか? それはなんとなくあかんことのよーな気がする………」


それは、一種倫理的な罪悪感であった。
結局逡巡しているうちに目は醒めてしまい、その後しばらく、
「どうせ夢やったんやからやっぱりやっとけばよかったあっ」
としょーもない後悔をしていたのであった。

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と、この、地味な夢をはっきり記憶しているのは、やはりそれが、「初潮の夜の夢」(注:「真夏の夜の夢」風に)であったからに違いない。
夢というものにキョーミがあったわたくしは、その日が来るまで「初潮の夜の夢」を愉しみに待っていたのであった。
「初潮」などというトクベツナデキゴトがあった日には、人はどんな夢を見るのだろう?と。

そう、まずもって「初潮」はトクベツナデキゴトであるべきであった。
それまでに読んだ/読まされた性教育の本・児童文学・漫画その他はおしなべて、「初潮」をトクベツナデキゴトとして描写していた。
それらをもとに形成されていたイメージはこんな具合。

或る日突然、身体に感じる異変(どんな異変かは知らんけど)。胸騒ぎを覚えトイレに駆け込むと、白いタイルの上に飛び散る鮮血。美しい真紅。嗚呼、あたし、大人になったのだわ!
みたいな。

然し現実の散文性ときたら。
このわたくしめときたらぼんやりしていて「異変」(どんな異変かは知らんけど)などまったく感知しなかったばかりか、下着を洗濯しようとした母に指摘されるまで、「初潮」が訪れたという一大事に気付かんかったのである。更にその際見せられた付着血液も、「美しい真紅」などでなく、乾燥して変色した申し訳程度の汚れであったし。
あたし、大人になったのだわ! 的感慨の代わりに少女が思ったことといえば、

「ぜんぜんドラマティークとちゃうやん!」
であるからせめて、その夜の夢くらいはドラマティークであって欲しかったのである。 それだのに、道具立てからしてお馴染みの、小学校・中庭・鉄棒っ。そんな夢やったら何も今夜やのーてもいつでも見られるやん!
一生に一度しかないトクベツな日に、なんとしょぼい夢を見てしまったことよ……と目が覚めて落胆しきり。

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とはいえ、このしょぼい夢はしょぼいなりに、その後の人生の中で一つの強い印象でありつづけた。いや、そのしょぼさゆえにそれは重要であったのかもしれない。
それはなんというか、独特の、決定的なしょぼさであったのだった。

夢の中なら人はどんな希みを叶えようが自由な筈だ。ましてやさかあがり成功などというささやかな希みでないか。それだのに何でまた自らその自由を制限してしまったのだろう。そしてその制限の行使には、(夢の中ではそんなもんほっといてよい筈の)ある種の倫理みたいなものが介入していたのだった。それによって、じわじわ万能性が削がれてゆくようなそのしょんぼり感。
今でも印象的なのは目覚める間際の、「あれ、自由のはずやのに自由とちゃうんや」というなんとも味気ない感覚である。たとえばあれだ。「何でも好きなもの食べていいからね」と言われじゃあ、ステーキにしよーかしらお寿司にしよーかしらとわくわく選んでいると、「あ、1000円以上のものはダメね」と言われて「全然、《何でも》とちゃうやん!」みたいな。譬えまでしょぼいですが。
とまれ。そしてそのときのしょぼい感覚は確かに、自分の身体的成長に伴われる何らかの感覚と結びついていたと思うのである。

その日、娘の出血に気付いた母は、「これであんたも赤ちゃんが産めるようになったんよ、おめでとう」と言ったうえで、月経時の処置法を簡潔に教えた。初潮を迎えた娘に対する母親の対応としてはごく妥当なものであったと思うが、その祝福の台詞は、あまりに定型句過ぎて若干奇異な感じがした。まあこういうときはこういうふうに言うものなのか、と思いつつ、同時に、

「赤ちゃんが産めるようになったてゆーても、今すぐ産めるわけじゃなし」
という素朴なツッコミも内心に生じたのであった。

そう、当時はまだ小学生であった。だから、初潮が来たところで「産める」わけがない。
しかし。では、一体いつになれば「産める」のだ?
今は産めない、でもいつか「産める」ときが自然に来るらしい、と当時は漠然と感じていた。その後も漠然とそのように感じ続けてきた。で、とうに成人年齢に達した今のわたくしは果たして「産める」と言えるのか。

「産める」ということは、わたしたちの社会においては、単に、再生産のための身体的準備が整った、ということとはまた別物だ。産める・産めないということは、自然的条件以外の、さまざまな文化的・社会的条件によって規定されてる。
潜在的に「産める」ということと、実際に産むということは、イクォールでない。本当は、自分が「産める」のか「産めない」のか、「産んでもいい」のか「産んではいけない」のか、「産まねばならない」のか「産まなくてもよい」のか、いつまで経ってもわれわれは分かることができない。にもかかわらず、その一方で、わたくしの身体は(意志とは無関係に、)「孕みうる身体」であり続けている。われわれは、自分が「産める」のかどうか分からないまま、一瞬一瞬の選択で、産むか、いや産まないでおくか、決定してゆく。で、その決定は、自分ひとりで成してるわけではないらしい。さかあがりするかしないかの決定の際に、何かようわからん倫理みたようなものが介入していたということは、象徴的であった。夢の中では何をしようが自由なはずだ。しかしその自由はなんかようわからんものによって制限されていたのであった。

自分は自分の身体の所有者であるはずなのに、しかしそれは半分以上自分の知らぬところで管理されている。(まずそもそもわたしの「初潮」に気付いたのは母であって当人ではなかった。わたしの身体に関する出来事が、わたしのあずかり知らぬところで進行していたのだった!)

こうした「産める」ことにまつわるあいまいさ、産む産まないの決定にまつわるあいまいさ、ひいてはそうしたあいまいさによる、自分が自分の身体の所有者であるという素朴な万能感の揺るがされが、初潮の夜の夢の決定的なしょぼさに反映されていたのかもしれない。

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ということにふと気づいたのは、つい最近であった。

成長するにつれ、生殖について考える機会が増える。産む産まないの選択を瞬間ごとに迫られるような機会が増える。殊に、自分の母親がわたくしを産んだ年齢に自分が成ったとき、そうした選択の問題は前景化してきた。
そのとき、ふと、あっ、この感じってあの夢と同じ感じ!と気付いたのであった。


わたくしは現在のところ、生殖していない。潜在的には「産める」のであるが、諸事情で、そしてまたなんかようわからん理由なき理由みたようなものによって、なんとなく「産まない」で来ている。その現状を認識する度、あの日の夜に、なんかようわからん理由なき理由みたようなものによってさかあがりを断念してしまった際の感覚が蘇る。

そもそも、選択だの決定だのいう行為自体、なんか夢っぽくない?
わたくしは現在のところ、生殖していない。が、どこかで違う選択をしていれば、生殖していた生というのがあり得たのであろう。と考えるとき、自分の生きていない生が夢の中で生きられているような感覚が感じられ、へんなきもちだ。
そして今現にこうある生も、今より以前の或る時点では「そうあるかもしれない生」の一つであったに過ぎず、選択或いは偶然の次第では複数個の「そうあったかもしれない生」の一つになっていたのかもしれないと考えると、更に夢っぽい気分になってくらくらとする。

また、そのような「そうあったかもしれない(しかし永久にそうある可能性は失われている)生」は、(当然のことながら)年々、日々、増えてゆく。それは産む産まないの問題以外についても無論言えることであるけれど、産む産まない問題に関しては、毎月ひとつずつ卵子が不可逆的に失われてゆくという具体的な事情がある故、より実感的にそれが感ぜられるのであった。
さかあがりをするかしないか逡巡しているうちに夢が覚めてしまったように、何か行為をするかしないか、産むか産まないか逡巡するうちに死んでしまったりするものなのかな。

それにしても、初潮の夜の夢において逡巡の対象となったのが、なぜによりによって「さかあがり」であったのか、ということは今もって謎。体育教育の影響力の恐ろしさを思ふ。


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追記)
さて成人した今でもさかあがりはできないままのわたくしであるが、ところが20代も半ばを過ぎたつい先日、ふたたびさかあがりの夢を見たのだった。今度は初潮の夜の夢のような倫理的逡巡を感じることもなく、かなり高い鉄棒でふつーにさかあがりしていた!しかも3回連続。10数年の時間と月経歴を経て、なにかが成長したのかもしれない。運動神経以外。








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