名古屋デロリ紀行:桃巌寺を訪れる






2009年春。学会打ち合わせのため名古屋へ。
そのついでに、かねてより気になっていた本山・桃巌寺を見学することにした。
名古屋は、大須あたりの雰囲気といい、その食文化といい、「デロリ」なものを薄々感じてはいたのだが、桃巌寺はデロリの極地で大変に満足した。

注)「デロリ」とは、『芸術新潮』において、岸田劉生の言葉を発展的にふまえて命名された概念。日本の美意識といえばわび・さびばかりが云々されるが、実はそればかりでなく、濃ゆくてエグいデロリとした世界が広がっているのだよ、ということ。

 

デロリ食文化(矢場とんの味噌かつ)およびデロリ地域(大須観音周辺)


桃巌寺は信長父の菩提寺。伝統あるお寺なのである。
境内に入ると、いろんなお花がきれいに咲いたお庭が広がっている。庭を分け入ってゆくと、つつじの咲く中に、色とりどりのお人形やおもちゃが吊り下げられた一角が現れた。
つつじに包まれるように、「生命之根源」と書かれたふしぎな形の碑があり、その陰には、ちいさなこどもの像が座っている。水子供養像らしい。

しかし、独特であるのは、このお寺では水子供養だけでなく「精虫(たまむし)供養」もおこなわれているという点。生命之根源碑も、精子と卵子を模してデザインされているのだそうだ。
以前、荻野美穂著『生殖の政治学』で、われわれはたとえば「避妊」と「中絶」の間に明確な一線を引いているけれども、その線は自明のものでなくて、時代によって恣意的に規定されてきたものであって、じつは避妊−中絶−間引きはなだらかに連続していたのだ、という議論を読んで感銘を受けたことがあったが、なんかそんなことを思い出したりした。
ところで、「卵子供養」もやってくれるんでしょうか。
数限られた卵子を毎月なすすべもなく見送ってることにけっこうむなしいものを感じている人はけっこう多いと思うので、卵子供養もあればいいと思うのだが。。

どことなくエキゾチックな門を通れば、満開のつつじの中に、なんとなく艶っぽい観音さまが立っておられる。



お名前は「慕情観音」。名前もなんとなく艶っぽい。
横には、「じっと見つめていると思い出すことがある」という説明書きがあったので、じっと見つめてみたところ、なんかを思い出したような気がしなくもなかった。

お庭から、お墓のほうを見やると、木々の中からのっと首を出しているものがある。



だ、だいぶつさま!!

名古屋大仏である。名古屋大仏というものがあるのは知っていたが、このお寺にあるとは知らなかったのだ!
1987年建立だが、その後色が塗り替えられたようで、鮮やかなグリーンに金色の彩色というなんともデロリとした色彩になっている。周囲は、オシャレで新しげな本山の町。その街中にデロリ大仏とは、なかなかの違和感である。

山道のようなところをお墓の方へ降りて、近くまで行ってみる。
大仏さんの周りを、弟子らしき群像やゾウやら鹿やらがぐるりと囲んでいる。ゾウさんのお鼻のしわしわまで刻まれていてリアルだ。お灯明の台座にも、こまかな動物文様が彫られていた。
大仏の前には、ベンチが置かれ、喫煙スペースになっている。市民の憩いの場に、ということだが、仏像の前でいっぷくって、ちょっと抵抗があるなあ.....







大仏を堪能し、再びお庭のほうへ戻ろうとうると、ねこちゃんがたくさんいた。おおかたは人見知りだが、一匹だけ懐きにきたねこちゃんをなでてなごむ。
辺りには、妙にかわいい犬や猫の石像がある。「愛犬供養塔」。ペット供養塔である。同族が眠っていると知って、ねこたちも此処に集っているのだろうか。








愛犬のことを思い出し、ちょっとしんみりとしてしまった。だがこの後、本堂を見学しに行ったわたしは、しんみりどころではなくなることになるのだった………。
***

ここの本堂は見ておいたほうがいいよ、という情報を事前に得ていたので、是非拝観しようと決めていたのだが、本堂の玄関に立つと、京都のいかにもな観光寺と違い、ひっそりとひとけがなく、緊張感がある。
「御用の方は鐘を二回鳴らしてください」との貼り紙に従い、鐘を鳴らしてお寺の人を待つ。


しばらくすると、お寺のおばさんが出てこられた。拝観希望の旨を告げると玄関にあげてもらえた。なぜか突然「あんたの髪の毛、地毛?」と問われ、戸惑う。そして拝観料1000円を支払う。1000円か、高いよなア、と思っていると、それを見透かしたかのように、
「あんた、でもね、この1000円は価値ある1000円よ、色々なご利益があるからね、ほら、お守りも持っていきなさい、手作りのお守りなのよ」
と、白い紙に包まれたお守りを渡される。さらに、
「あんた独りだから、もうひとつあげるわ。誰かあんたの好きな人にあげなさい、ご利益があるから」
と、もうひとつお守りをくだすった。どうやら、ここにおまいりにくるのは、カップルが多い模様である。
「ずっと奥へ進んだところが弁才殿。それから是非、屋上も見てね。カップルが何組か拝観しているけれど、その人たちに惑わされず、あなたはあなたの時間を過ごすのよ!
と送り出される。いったいわたしはどこへゆくというのか………

入ったところではふつうに法事が行なわれており、若干気が引けながら通り抜ける。他人の法事に闖入するのは変な気分だ。退屈したこどもがちょろちょろ遊んでいる風景は、どこの法事でもおんなじだ。
天井は、「絵天井」になっており、鮮やかな極色彩の絵が描かれている。この時点で、非常にデロリ的な予感がひしひしとを感じられた。

その部屋を抜け、渡り廊下へ出ると、柱に貼り紙がある。
このお寺は手書きの貼り紙がやたらに多い。先ほどからほのかに感じられていた、パラダイス−秘宝館的雰囲気は、貼り紙によるところが大きいのではないか。パラダイスとエクリチュールは密接な関係があるのだ。かつて訪れた「淡路島なぞのパラダイス」も、パラノイア的えくりちうるが犇めいていたし…。(実は、当サイトも、そのようなパラダイス的ムードを目指している。)
柱の貼り紙は、こちらに祀られている弁天さんの説明であった。

「弁財天を信仰すると知識が豊かになり弁舌さわやかにして開運し人生が明るくなる良縁にめぐり逢い又技芸上達す」
いいことづくしではないかー! 特に「弁舌」。口下手なわたしには朗報だ。
一刻も早く弁天さんを拝んで口下手をなんとかしたいところだが、しかしそのとき、中庭からなんだかおもしろそうな空気が漂ってくるのを感知し、まずは、渡り廊下を降りて、中庭を散策することにした。
スリッパを履いて、庭に下りる。

なぜかマヨネーズのチューブが落ちていた。


趣のある木の根。


かわいらしいほとけさま


そしてお庭の片隅に、をを、いらっしゃった!
男女和合の直截的な表現ながら、なんともかわいらしい石像。



飲み物が供えられているのが気になる。
飲むのか? どこから?

なんだか次第に秘宝館的めいてきた。
お堂に戻り、渡り廊下を抜けると、このお寺の目玉だという「ねむり弁天」像が現れる。これもなんとなく秘宝館的。
ねむり弁天さんは、硝子ケースの向こうに静かに横たわっておられた。白いお肌が眩しい。なんとも艶かしいお姿。胸乳も露わに、片手がそっと乳房に添えられている様子が色っぽい。撮影は禁止とのことだったので、写真は撮らなかった(たしかに眠っている人の裸体を勝手に撮るのは悪趣味だものね)。
なお、ねむり弁天さんを信仰すると、安眠でき、よい夢を見ることができるとのこと。

そしていよいよ奥の弁才殿へ。
壁に、たくさんの有名人による色紙が飾られている。弁天さまには技芸上達のご利益があるので、芸能関係の人もおまいりにくるらしい。
その弁天さまの周囲を見ると、数多の男根像・男女和合の像等がひしめいており、圧巻。














ここにおはすものものにはそれぞれ「○○童子」と名があり、弁天さんの眷属ということになっているらしい。それぞれにご利益があるのだそうで、健康のご利益があるという「生命童子」のあたま(=亀頭)をなでていると、ちょうどそこへ、上品そうなおばあさんと幼い孫娘さんが入ってきてびみょうな空気が流れた。
「あれ何」と問う孫に、おばあさんは「えんむすびの神様なのよ」と説明し、孫は「ふうん」と納得。さすが年の功だけあって上手いこと仰る。
眷属の中には、名古屋だけに、しゃちほこ的な態位で交わっている男女像があったのが印象的であった。

圧倒されついでに此処でおみくじをひいてみたところ、洒落にならんほど悪く、数分へこむ。


***

弁才殿を出ると、屋上へ続く階段がある。これが、さっきおばさんに強くオススメされた屋上だな。スリッパに履き替えて上がる。階段は、普通のアパートの階段のようで変な感じだ。
上がったところも一見ふつうのビルの屋上である……が、真ん中に、朱色の塔が立っている。エキゾチックな様式の塔で、異国に来たような気分。




小さな入り口から腰をかがめて塔の中を覗き、一瞬たじろいだ。歯を剥き舌を出した白い蛇が二体、とぐろを巻いてぐるぐると絡み合っているのである。くわっと開いた口が今にも噛み付きそうに見える。
この「白竜霊神」の両脇には、木彫りの、二体の「ラマ仏」が配置されている。「ラマ仏」というからにはチベット仏教のものなのだろうか?
こちらも雌仏(女神?)と雄仏(男神?)の二体。獅子のようなお顔だが、女神のほうは巨大な乳房を片手に載せており、男神のほうはやはり巨大な陰茎に片足をかけている。その器官器官が非常な圧倒力だ。何故和合の神仏たちは、こんなに鬼気迫る姿をしているのだろう? 二体とも、目を剥き、牙を剥き、長い舌をべろんと出した、壮絶な形相である。

 


屋上からは、本山のオシャレな街並みがちょっと見える。こんな街中にこんなお寺が………。あんまりの迫力にあてられ、しばらく屋上でぼーっとなった。


***

入り口に引き返しがてら、また手書きの貼り紙を見つけた。


 「経典に『弁財天は天地の始め、陰陽の根源』と記されている。私たちの生活に、陰陽・善悪・明暗などの相対的出来事が多い。事業繁栄・家庭円満・良縁和合・芸事増進、特に精神的な論争はこの陰陽の不和による。いかに時代がかわっても尊厳性のともなわない性交は慎むべきである」
成る程。最初のほうは難しいのでよう分からんが、性においてひつようなのは愛というモノサシだけでなく、尊厳というモノサシだ、というのは納得であるな。……などと考えさせられた。

外に出ると、中にあんなに諸々のものが収蔵されているとは思えない、普通のお堂に見える。弁財天の表にはお鼻をからめあうゾウさんたちがいらした。


かわいらしい。


***

帰宅後、いただいたお守りの包み紙を、そっと紐解いてみたところ、だいたい予想通りのものが出てきました。こんぢきに輝いていました。











back