幼年期の記憶の幾つか








子供時代は、そのものとしては、もうない ―― S.フロイト(『夢判断』第五章)






4歳の頃か、なぜか突然、履いていた靴下の、爪先の部分をハサミで切り落としてしまった。

結構気に入っていた靴下だったので、切り落としてから、しまったもとに戻さなあかん、と慌てた、のだが、もとに戻そうとして、何故か更に切り落としてしまった。
靴下は、どーしようもない状態になった。

後悔と、靴下と靴下を買ってくれた母に対する申し訳なさが芽生え始めたが、しかし既に靴下は、自分には修復できぬ有様に成り果てていた。
大人にならなんとかできるかも……と儚い期待を賭け、惨状を呈する靴下を、恐る恐る、台所にいる母に見せにいった。

母の宣告は、「こらもうどーしようもないわ」というものだった。取り返しのつかないことをしてしまったのだ……という事実を悟った娘は、泣き出した。
泣くぐらいならやらなきゃいい。当然ながら母親は、「なんでこんなことしたん」と詰問した。
娘は、「足の指が、ちくちくしたから」と答えた。
「はア?」と母親は呆れた。
いや、足の指がなんとなく「ちくちく」と痒かったのは実際なのだが、それは靴下のせいではなく、また靴下のせいであったとしても何も靴下を切る必要はないことは分かっていたのであった。それだのに「なんでこんなことしたん」と問われても、自分でも何と答えたものか分からない。

靴下は結局もとに戻せず、母は呆れつつも、「切ってしもうたんはしょーがないからまた新しいの買うたげる」と言った。しかし娘は泣きやまなかった。
泣きながら、なんで切ってしもたんやろ……と自問し続けたがやはり答えは出ず、そして、今となっては、本当に足の指が「ちくちく」していたのかどうかもワカラナクなっていた。
その後一年ほど、この出来事を思い出しては悔やみつづけていたのだった。

その後のわたくしの人生は、この靴下切りの反復で成り立っているような気がしなくもないが、そんなことはないと言われればそんな気がしなくもない。






いつもの道を帰る途中、父が車を止めた。
母だけが車から降り、道路沿いのパチンコ屋に入っていった。
母がパチンコをしている間、父と幼いわたしは車内で待たされた。

という記憶を、少し成長してから両親に話すと、
「え、そんなことなかったで」
と言われた。いや絶対自分は間違っていない、と言い張ったが、両親も両親で、お前の記憶はいいかげんだ、第一そんな小さいときの記憶当てにならん、と譲らぬのであった。

確かによう考えてみたら、うちの親にはまったくパチンコを打つ習慣がない。だのにその日に限って子供を待たせてまでわざわざパチンコ屋に入っていたというのは、確かに不自然である。ありえない。だが、わたしの記憶では、確かに母はパチンコをしに行ったことになっているのである。

協議の結果、《母は確かにパチンコ屋の前で車から降りたかもしれん・しかしその後パチンコ屋でなくどこか違う店にでも寄ったのだ》という仮説が立った。一応はその仮説で双方妥協することとなったが、しかし内心は双方とも納得していない。そして仮説を確かめる術はない。こんなどーでもいい仮説の確認が、絶対的に不可能であるとは。このことからも、歴史に関する論争の困難が察される。






5年生の夏休み、なぜか理由もなく、
「生きて夏休みを越せないんじゃないか」
と思った。

7月の終わり、近所の駐車場にみんなで集まって星の観察をした。理科の宿題だったのだ。
普段、夜に友達と会って喋ることなどなかったので、新鮮だった。これまで仲良くなかった子たちともたくさん話したし、暗い中で見る皆の顔は、いつもより大人びて見えた。
帰り道、「みんなと会うのはこれが最後になるんだろうなあ、わたしは夏休みが終わるまで生きてないから」と思うと、不思議な気分になった。

お盆に家族旅行に出かけた。
出発する前に、「この旅行中に死ぬのかなあ」とふと思った。
出発ぎりぎりまで、わたしは書き物をしていた。
クラスのひとりひとりにメッセイジを残すことにしたのだった。「いつも遊んでくれてありがとう」「遠足たのしかったね」など。全員に一言ずつなんか書くという縛りをかけてしまったため、「あんま仲良くなかったけどとりあえずありがとう」「好きだったけど今はそうでもないです」など、書かないほうがマシだと思われるメッセイジもあった。

結局、何事もなく、生きて2学期を迎え、今に至る。






4歳の頃、銀杏の木の前で、祖父が、まだよちよち歩きの従妹を抱き上げ、銀杏の実に触れさせた。
「わたしも、2歳のとき、こうやって抱っこされた」と思い出した。
今抱っこされている従妹の姿に、2歳のときの自分が重なった。
それが、最初の、「記憶があるという記憶」である。






ある朝、小学校の裏庭で、「のうみそ」が見つかった。
教室にいると、誰かが、「裏庭にのうみそがある」と皆を呼びにきたのであった。
クラスの子全員が裏庭に集まった。

わたしも、皆と一緒に裏庭に駆けつけ、のうみその傍に駆け寄った。 裏庭の草の中には確かに、のうみそが転がっていた。赤や青の血管が絡まっているさまが、実にのうみそらしかった。
近所の病院から廃棄されたのでないか、などと皆は推測し合った。皆、少し離れたところからのうみそを取り巻いて立っていた。のうみそに触れる者は誰もなかった。K君が棒切れを持ってきて、のうみそをつついた。のうみその近くにいた子たちは慌てて飛び退いた。のうみそは裏返された。裏面もやはりのうみそっぽかったので、本物であることが明らかになった。
K君はいつも臆病者だと言われ、バカにされていたが、このときばかりは英雄扱いだった。

のうみそのことは、さしあたっては、先生や上級生には秘密にしておくこととなった。
昼休みにも、何人かの子はのうみその様子を見に来た。
しばらくすると、いつのまにかのうみそはなくなっていた。 いつなくなったのかは知らない。



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