〆切とアキレスと亀と私






たとえば一年後として、しめきりが設定-呈示されるとする。
この時点で、わたしの前に広がっているのは、ただ茫漠とした一年間である。
その一年間のうちに、すばらしいアイディアが沸き・多くの知識が蓄積され・あらゆるデータを調査しつくせる可能性が、無限に広がっているように感じられる。

ように感じられる、とかぶつぶつ言うてるうちに、たとえば半年が経つ。
わたしとしめきりとの距離は、残り半年に縮まっている。
しかし変わらず、その半年の間には、すばらしいアイディアが沸き・多くの知識が蓄積され・あらゆるデータを調査しつくせる可能性が無限に詰まっているように感じられる。
半年のうちにはひと月が6回もあり、ひと月のうちには1日が31/30回もあるのだから。

あるのだから、とか言うてるうちに、さらに時間は経過し、わたしとしめきりとの距離は、たとえば残りひと月になっている。
や、やばい……と理性では焦りつつも、しかしわたしは変わらず、しめきりははるか先にあるように感じている。
だって、ひと月は31/30日もあるのだ。
あと31/30日もあれば、たいていのことはやってのけられる、とおもう。

まるでしめきりは、けっして到来することのない、けっして追いつくことのない何かであるかのようだ。

とか思っているうちに、わたしとしめきりとの距離は、たとえば残り1週間になる。
わたしは、1年前を思い出す。
そして、その頃、あと1年のうちに沸くであろうと想像していたアイディア・蓄積されるであろうと想定していた知識・調査しつくせると予定していたデータ、それらが、当時の想像の半分も達成されていないことに愕然とする。
愕然としつつも、しかしわたしはやはり、あと1週間の間に、あらゆるミラクルを起こせるかのように感じている。
1週間の間には、1日が7個も(略)

ミラクルが起こらないうちに、わたしとしめきりとの距離は、残り1時間になっている。
しかし、理論上は絶望しつつも、依然としてわたしはどこかで、この1時間は必要なすべての仕事を果たすのに充分であるように感じている。1時間の間には1分が60個り、1分の間には1秒が60個もあるのであり、この1秒の間には1/60秒が60個もあり、この1/60秒の間には(略)のであるから。
この1時間は、永遠に過ぎ去ることがなく、その間にはあらゆることが可能であり、しめきりはやはりずっとずっと先である。

ただし、アキレスがけっしてカメに追いつくことがないのに対し、どうしたことか、必ずわたしはしめきりに追いついてしまうのである (慣用表現ではこれを、「しめきりに追われる」と表現する)。そしてわたしたちは慨嘆する。
「しめきりって、本当にやってくるものなのだなあ!」

とはいえ、実際には、アキレスも明らかにカメに追いつくであろうことはシュウチノトオリであって、ここにしめきりの秘密がかくされている。
しめきられるひとがしめきりに追いついてしまう数秒のあいだに、ほんとうにミラクルが起こることがあり、このミラクルは、アキレスがカメに追いつくひみつと関係しているのかもしれない。
しかしそんなことより重要なことは、ミラクルは必ず起こるとはかぎらないということであり、こんなことを書いている暇があったらなんとかせよ、ということであるよ。


(200602)










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