男性器の増殖に就いての一仮説






子供のころ、父が風呂に入れてくれることがしばしばあった。父と風呂に入るときには、湯船につかりながら父の「お話」を聴くのがたのしみであった。「お話」にはいくつかのレパートリーがあり、その中でとりわけわたしのお気に入りだったのは「闇鍋」の話だった。父の学生時代のバカなエピソードで、学友らと闇鍋をしたものの、皆、歯磨き粉や古靴や挙句の果ては金魚の死骸など食べられないものばかりを投入し、結局みんなで鍋の中身をドブに捨てにいった、という話であった。その、ありえないものばかり投入されていることに皆が気付くくだりがおかしくて、風呂に入る度に「闇鍋のお話をしてくれ」とリクエストしたものだ。

さて、そんなわけで、風呂には母よりも父と入ることが多かったのだったが、その度にわたしには、疑問に思うことがあった。それは、「なぜ、Sくん(注:一つ下の従弟)にはおちんちんが一本しかないのに、お父さんは三本あるんだろう?」ということだった。
母に訊いたところ、母は「何言うてんの、お父さんも一本だけやで」と言った。でも母は近眼なのでよく見えていなかったのであろう。銭湯にも父と行くことが多かったので、男湯に潜入する機会がよくあったのだが、その際にも、個人によって本数が違うように思われた。観察の結果、だいたい年齢を重ねるに従って本数が増えていくことが分かった。

わたしはその仮説をずっとひとりであたためていたが、思索の結果、小学3年生くらいのとき、なんとか自分なりの理論を完成することができた。その集大成として、表を作成することにした。休日に、おばあちゃんちの奥の部屋で、広告の裏に、1時間くらいかけて作ったその表は、0歳から40歳までの男性器の図を、解説文入りで描いたものであった。タイトルは、「おちんちんの増え方」とした。子供のときには1本しかないのが、40歳でだいたい生え揃うことになっていた(生え揃った時点で何本になるかは忘れた、たぶん10本くらいだったと思うが、個人差もあるということになっていた気がする)。

表を描き上げると、わたしは早速、己の理論の正しさを確認しようとして母のもとへ走った。大得意で母に表を見せると、驚くべきことに母は、
「なんや、また、こんなもんばっかり書いて、あんたは」
と呆れ、まじめにとりあってくれなかったのだった。
これは意外な反応であった。確かにわたしはしばしば、みんなを笑わせるためにふざけた絵を描いたりもしていたが、このときは実に真剣な気持ちで描いたので、母のこの態度には驚かされたのだった。叔父叔母なら正当に評価してくれるかもしれないと思い、その場にいた親戚たちにも見せたが、皆、「一生懸命何か書いて、宿題でもしてるんかと思ったら、なんやこれは」と呆れるばかりであった。わたしは理論の正しさを確認したかっただけであったのに、誰もそれについては言及してくれなかった。

ちなみに当時、そうした「成長の段階図」のようなものを描くに凝っていて、自分の一生の図もよく描いていた。一歳ごとに、自分がどのような姿になっているかという予想を、解説入りの図で示したものである。17歳では、セーラー服を着たロングヘアの美人になっていて、20歳では、スーツを着たOLになっていて、40歳では、いきなりおばあさんになってコタツでみかんを食べているのだった。40歳で人間は完成するという観念があったのであろう。これは、孔子の思想である。











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