ときどき、夢を見たあとに、「あたしは祖母を憎んでいたのか!?」とぎょっとすることがある。
夢の中に出てくる祖母はいつも、小うるさいひがみっぽい女であったり、或いは迷信深い無知蒙昧な婆さんであったり、時には、迫害者であったりする。
自分の無意識は祖母をそのように捉えていたのかっ、といつも愕然とするのである。
それで、最近、祖母について考えることが増えた。
わたしの生まれた当初、われわれ(父母子)と祖父母は、別居していた。途中から同居を始めた。わたしが8歳のときだ。同居にあたっては、いろいろあった。
小さい頃、祖母は、自慢のおばあちゃんであった。優しくて、美人で、年の割に若くて(いい化粧水を使っていて、今でも肌はつるんとしている)、信心深く、家事が上手い。
「モラロジー」の会で聞いてきた「道徳」の話や、寺で聞いてきた仏教の説話などを、よく聞かされた。わたしは祖母の信心深さにいつも感心し、一緒に「道徳」の本を読んだり、一緒にお寺やお地蔵さんにお参りに連れていってもらったり、お経を覚えたりした。多少冗談の通じないところもあってそういうときは困ったけれども、人の悪口を言ったり不正なことをしたりしない点を、わたしは慕っていた。
ところが、同居を始めた頃から、それまでわたしにとって慕わしいものであった祖母のそうした面が、急に煙たいものになり始めたのもまた事実である。
たとえば、「モラロジー」と「寺」「地蔵信仰」などの問題ひとつとってもだ。それまで、それらは、時折触れに行く「おもろい異文化」に過ぎなかったのが、突如強制的な信仰に変化し、我が家における政治的問題の焦点となった。
また、それまでわれわれ(父母子)には、独自に作り上げた若い文化があったのだが、それらはことごとく、祖母の介入によって塵芥に帰した。うちには、母方文化由来の、男(父)をわざと軽んじてみせる、というような習慣があった。これをわれわれはそれまでそれなりに楽しんでおり、父もその文化にそれなりに馴染んでいたと思われたのだが、二世帯同居後、かつてと同じ振る舞いをすると、祖母の、
「お父さんにそんなこと言うのは誰や!お母さんが教えはるんか!?」という叱責が飛んでくるようになったのだった。 その後は、「男の人は敬わんとあかん」「あんたもお嫁にいったら旦那さんに仕えてお姑さんのいうこときいて云々」の説法が始まるのだった。
ところが父が助け船を出してくれるかと思いきや、彼は、祖母の声に呼応するように、家父長的権威を演じ始め、早い話が「古臭い男」となり果ててしまったのだった。たとえば、祖母の前で、わたしが父をあだ名で呼んだことがあった。そのあだ名は、おかしなあだ名ではあったけれども、わたしなりの愛情表現であり、それまでは父も、一緒にふざけこそすれ不快を表明したことなどなかった。ところが、突然、祖母が、
「お父さんをそんな呼び方するてどういうことや! お母さんがそう呼ぶんか!?」
と血相を変えて叫んだのであった。わたしは、祖母の誤解であると思った。祖母は、父があだ名を嫌がっていると考えて怒っているのだと思った。よって、父が、「おれは別にいやではないし、今までもそう呼ばせてきた」と擁護してくれると思い込んだ。
しかし、父は、祖母の言葉に頷きながら何も言わず黙ったきりだった。
こうした状況に、子供たちは萎縮し、また白けもし、以降、父とかつてのような対話を試みることもなくなった。
厭な言い方をすれば、二世帯同居開始時、祖母はわたしにとって、「家父長制の手先」として立ち現れたのだった、といえる。
が、それは、祖母個人のせいというよりは、祖母の生きてきた時代の社会の要求や規範を、祖母は体現していたに過ぎなかったはずだ。「シャカイテキにコウチクされた」というやつだ。フェミニストなら、「女はそうやって分断されてきたのだ!」と言うだろう。
それは、子供の頃から理解していたことであった。勿論、「シャカイテキにコウチクされた」などという表現は知らなかったので、もっと素朴な、「昔の人やからしょーがない」というような形での理解であったが。
祖母は、自分のことよりも他人のことを常に第一に考えるが、それもやはり、(女に対する)時代の要求であったのだろう。
祖母を見ていると、自分が何を考えているか・自分が何をしたいか、ということは、一切意識されていないかのように感じられる。たとえば、祖父がニュースや週刊誌を見ていろいろなことを言う(「南京大虐殺なんて嘘や」とか)。すると祖母は横で、「なんで?」とも「ほんまに?」とも訊かず、「へーそうなんどすかー」「ほんまにそうどうすなあ」と相づちを打ち続けるのだった。
しかし実際に祖母に、自分の意志や欲求がないかと言えばけっしてそんなことはなかろうと思われるのであり、それは、行き過ぎた謙遜癖という形をとって、(プチ・ヒステリー的に?)現れる。
たとえば、何か食べ物(別に立派なものでなく、しょーもないお菓子とか)が家族全員に行き渡ったとき、必ず祖母は、「私は要らん」と返そうとする。
「私は何の役にも立たへん年寄りやから、こんなのをもらう資格はない、あんたたちで食べてくれ」
そのように、そのしょーもない菓子にはあまりに不似合いな、過剰な謙遜を切々と述べる。これによって、他の、遠慮もなくその菓子を食べようとした家族成員は、自分に罪悪感を抱かされることになるわけである。
この謙遜癖は、自分の卑屈癖とよく似ているだけに、見ていて苦痛である。
そう、わたしは時折自分の中に、かなり祖母的な性質を発見することがある。(特に、対異性関係などにおいて。)それだけに、祖母のことが気になるのであろう。
他に、霊やら来世やらの話を代理にして愚痴を言う、という方法もよく用いられる。たとえば祖母は、嫌な人に面と向かって文句を言うことはない。だが泣きながら、こんなふうに言うのである。
「私は別に何とも思ってへんし、何の文句もないけど、あんなふうにしてたら、あの人が来世で苦労しはるんとちゃうかと心配や」祖母の、死んだ姑(わたしから見れば曾祖母)はかなり嫁にきつく当たる人で、祖母は苦労したのであるが、そのことに関しても、姑の悪口を言うのは絶対に不可ないという前提があるため、祖母はこんな話法を使う。
「今日、お義母さんが夢に出てきて、涙を流して謝らはった。和尚さんに話したら、お義母さんはやっぱりあの世で地獄に行って苦労してはって、私に謝りにきはったらしい」
あの世で苦労させる(ことにする)くらいなら、生きてるうちに喧嘩をして謝らせたらどうだ、と現代っ子のわたしなどは言いたくなってしまうのだが、やはりそれは祖母にとっては、絶対にできなかった(してはならなかった)ことなのだ。仕方のないことなのである。
小さなことや、考えてもどうしようもないことでいつまでも思い悩むのも、わたしが昔から心苦しく感じる祖母の性質の一つだった。
わたしが最初に、祖母が泣いているのを見たのは、同居を始めたころだった。
店に女性の客が来て、祖母が接客していたのだが、お客さんが帰っても、祖母が部屋に戻ってこない。
おかしいなと思って見ると、祖母は、店で泣いているのだった。
その女性は、若干ものの言い方のきつい人だったのだが、それを、祖母は、自分に非があるがゆえのものだと取ったようだ。
祖母は、「私は気い遣うて、丁寧にもの言うてるのに、あの人はわたしのことを気にいらへんから、怒らはる」と泣きながら話し、祖父と父が、「考えすぎやでおばあちゃん」と言いながら祖母を慰めていた。
わたしは、祖母には仏さまやお地蔵さまがいるからどんなときでもにこにこしてるんやなーと思っていた――祖母自身がそのように言っていたのだ、「仏さんとお地蔵さんのおかげでおばあちゃんは幸せやねん」と ――ので、「おばあちゃんでも泣くのか」と驚いた。
そして、「おばあちゃんは繊細なのだなあ」というようなことを思った。
同時に、祖父と父の男二人がかりで慰められる祖母が、お姫様のようにも見えた。(母に対してはそんなことはなされなかったから。)
わたしが中学生になった頃、日曜に、一人で家で書き物をしていると、祖母がさりげなく隣にやってきた。
どういう話の流れでかは忘れたが、祖母が、
「あんたもいつかお嫁に行くんやなあ」と言い出した。
「おばあちゃん、あんたのことは心配してへん。せやけど、A子ちゃんのことを思うたら……」祖母は肩を震わせ咽び泣いた。祖母が泣くのを見るのは、あの、きついお客のことで泣いていたとき以来だ。わたしはびびった。
「あんたもB子ちゃん(注:もう一人の妹)もお嫁にいってしもうて、A子ちゃんだけが家に残ったらと思うと、かわいそうで…。おばあちゃんは、それを考えたら死んでも死にきれへん、それだけが心配なんや」祖母は涙で言葉を詰まらせ語った。
「今はそう言うたかて、いつかはお嫁に行ってしまうやろ(涙)」と祖母は繰り返すのだった。
私 「別に、障害があっても、結婚してる人いるやん」
祖母 「せやけど、相手の身内にいやがる人がいはるかもしれんし…(涙)」
私 「そんなん、昔の話やん、そんな奴、気にしいひんだらええやん」
祖母 「せやけど身内の人が反対しはったら、相手の人かて…(涙)」
私 「第一、A子だって別に、結婚したいかどうかわからんやん。結婚せんでも幸せな人もいっぱいいるやん」
祖母 「せやけど、あんたとB子ちゃんがお嫁に行ったら、A子ちゃんかってお嫁に行きとうなるわ……(涙)」
私 「B子はどうか知らんけど、うちは結婚なんかせえへんし。心配せんといて、大丈夫。結婚なんかしたくないし」
その日の夜、風呂に入ろうとすると、廊下に、祖母がやってきた。
祖母は、小さな声で、
「今日あんたが言うてくれたこと、おばあちゃんものすご嬉しかった。あんたの約束、忘れへんしな」とにこっと笑って囁いた。
さて、わたしにとって、妹の結婚などは、「今心配しても仕方ないこと」に思えた。結婚なんて何年も先のことだ、今祖母がああだこうだと気を揉んでもしょうがないことであろう ――勿論、大人になった今では、祖母の心配も理解できるようにはなったが。
とまれ、わたしは思った。
結婚する人が現れたらするだろうし、しなければしないでなんとかなるだろう。したいのに障害に対する偏見や差別のせいでできないとしたら、それは怒るべきことかもしれないが、それもそのとき怒ればいいことではないか。なんにせよ、祖母が今泣くようなことではない。
とにかく、祖母は、取り越し苦労や些細な心配のせいで、楽しいことを取り逃しているようにわたしには思われた。
それからしばらく経った頃、やはり廊下で、祖母が、暗い顔をしていた。
どうしたのかと訊くと、祖母は突然言った。
「おばあちゃんは不幸せや」わたしは、「不幸せ」という直接的な言葉に若干たじろいだ。祖母がそんなふうに考えているとは思わなかったからである。もう厳しい姑もいないし、さほど食うに困っているわけではないし、毎日何の不満もなさそうにしているのに、何故?
「幸せやんかー。幸せじゃなくても、自分が幸せやと思ったら幸せになるんとちゃうん。うちは幸せやわ。あー幸せ幸せ!」こんなふうに言ったのは、祖母の辛気臭いモードに巻き込まれるのがいやだったからでもあるが、祖母にいつもの考え方を思い出してほしかったからでもあった。
「あんたは幸せかもしれへんけどな、わたしはそうは思えへんのや!」そう言い残し、逃げるように風呂に駆け込んでいった。
「おばあちゃん、悩みすぎやって」と言ってもまったく説得力がないということが分かった。
××子(注:祖母の名)へ
突然だが、私は仏である。
仏から手紙が届いて、驚くかもしれないが、お前の悩みを見かねて手紙を出すのである。
最近お前は、嫁のことや、病気の孫のことで悩んでいるようだが、そんなことは、悩む必要のないことである。
時間が経てばなんとかなるだろう。
また、人間関係などでもすぐ悩むようだが、それも悩まなくてよいことである。
そんな暇があったら、もっと自分のしたいことをすればよい。
そうしてくれるのが、仏は一番嬉しいのである。
お前は、来世のことを心配しているようだが、来世というのは実はないので、これも心配しなくてよい。
なお、この手紙のことは、M寺の和尚や、家族の者には黙っているように。
言うと、悪いことが起きる。
では、体に気をつけて
仏より
仏というのがどういう文章を書くか分からなかったので、まず、ですます体とである体とで迷った。思案の結果、である体のほうが偉い感じがするので、そっちを採用することにした。どうせ祖母も、仏がどんな文章を書くかなんて知らないだろうし、間違っててもいいや。
「母」とか「妹」とか書かず、「嫁」「孫」と書くのは少し抵抗があったが、上手く行ったと思った。
最後の「体に気をつけて」という挨拶も、大人の挨拶という感じだし、仏はたぶんこういう慈悲っぽいことを言うと思う。
あとは、この手紙をどうやって祖母に届けるか、ということだけだ。
近所の郵便局から出したのでは、消印でばれてしまうし、仏が郵便局を利用するのはなんとなく変だ。
やはり、こっそりうちの郵便受けに投げ込んでおくのがよさそうだ。
だが、間違って祖父や父が開封したら困る。
祖母の宛名を書いた上で、「一人の時に読むように」と注意書きを添えておこう。それでも、祖母は人前で開けてしまうかもしれないので、差し出し人を、M寺の和尚の名前にしよう。そうしたら祖母は注意書きの通りするだろう。
そして、手紙を読んだら、「仏様がオッサンの名前を借りて手紙をくれたのだ」ということで納得してくれるだろう。
今すぐ郵便受けに入れにいきたいところだったが、もしかすると、正体がばれるような何らかの「穴」があるかもしれないので、周到を期すため、数日置いてもう一度読み返してから出すことにした。
わたしだとばれてしまっては、祖母のことだから、
「いや、あの子、こんなに気を遣って。あたしったら、また気を遣わせて。(涙)」となる可能性があったし、最悪の場合、祖父や父や和尚に見られて、
「ははは、あいつ、仏のふりをするとは、おもろいやっちゃな(笑)」となる危険もあったからだ。 このふたつのパターンは絶対に避けたい……。
「いやあ、おばあさん思いの、ええお孫さんですな(笑)」