万里の長城

―フルキャスト哀史






悪名高いフルキャストで、バイトをしたことがある。
近年のグッドウィルのあれこれにより「日雇い派遣」というアルバイト形態が、広く知られかつ問題視されるようになる以前のことである。
面接に応募したときの電話対応をまだ覚えている。

確か、バイト情報誌を見て応募した。私は電話が苦手で、特に、求職の電話ともなればひどく緊張する。緊張しつつちゃんと丁寧に、「バイト情報誌○○を見てお電話しましたむらたと申しますが、××のお仕事は、まだ募集されてますでしょうか」と問うたわたしに、でんわの向こうの男性は、

「んー? あー、してるしてるー」
と言うた。

なんぼ相手が単なるバイト応募者でも、知らん人と喋るのにいきなり「んー? あー」って……。
と、若干不安を抱きつつ、面接が可能かと訊くと、
「あー、いいよー」
と言われたので、面接に行った。

面接で、その電話主らしきおにいちゃんに会った。売れないホストのような格好と雰囲気の人だった。事務所の壁には、「仕事中は誰に対してもきちんとした敬語を使いましょう」というような張り紙がしてあった。私は心の中でいろいろとつっこみを入れた。
面接はすぐ終わった。というか、履歴書を渡した時点で「合格」になり、即、仕事を紹介された。履歴書には、趣味や特技を書かねばならない。私は特技がないし自慢できるような趣味もないので、いつもここで迷ってしまう。何を書いたものか迷ってとりあえず
「草書体の解読」
と書いた。当時大学のゼミで草書体解読の授業があったのだった。それに関しては特につっこみはなかった。
面接の際に、仕事の交通費は支給されないことが分かった。募集広告には何も記されていなかったので、がっかりした。また、「安全保障費」という名目で、一日分の給料から100数円が引かれることが説明された。なんとかという名目の初期費用も差し引かれることが分かった。なんの初期費用かは分からない。何か納得いかないものを感じたが、まあ安全を保障してくれるんだろう、と思って納得することにした。

フルキャストから紹介されたバイトは、M菱の工場での、携帯電話の部品の組立て・箱詰めであった。

仕事の開始は午前9時から。しかし集合は異様に早く、朝7時には工場の最寄駅に集合しなくてはならないことになっていた。
そこからフルキャスト社員の引率のもと、ぞろぞろと歩いて工場に行く。工場までは15分ほどの道のりである。バイトは皆で、100人ほどもいたであろうか。友達同士で来ている人も多かったが、私は友達がいないので喋る相手もなく、考え事などしながらぼんやり歩いていた。後ろを歩くヤンキーの女の子に、わざと聞こえるように「なんか子供みたいな奴おるで」と笑われたのが憂鬱であった。当時大学生だったがいつも中高生くらいに見られていたのだ。

工場には、当然ものすごく早く着く。9時前には朝礼などがあるのだが、それまで1時間以上の時間をわれわれは、休憩室のようなところで、ひたすらぼーっとして始業を待つのだ。
フルキャストの引率の社員も、「今日は早起きさせられた」などとぼやき、「暇だねー」を繰り返していた。あきらかに非効率的だ。大丈夫か、この会社、なんちう要領の悪さ、もしかしてバカじゃないか? とちょっと不安になったが、社員の話から窺われたところによると、フルキャストは、バイトの遅刻を心配して、集合時間を極端に早く設定しているようであった。どうやらわれわれは、「それくらいしないと遅刻してくる、統率の取れないやつら」として認識されているようであった。
当然ながら、この、集合から始業までの拘束時間は、給料は出ない。「安全保障費」を差し引いた日給を拘束時間で割ると、最低賃金を下回るか下回らないかくらいのぎりぎりの金額になった。


最初の仕事は、コンベヤに流れてくるケータイの部品を何かいじってまたコンベヤに流してゆく作業だった。当時携帯電話を所有していなかったこともあり、自分が何に使う何の部品をどうしているのか、さっぱり分からなかった。私語は仕事に差し障りのない程度なら容認されていたけれども、他の人々や他のラインがどういった作業をしているのかは、訊いてはいけないという規則になっていた。
昼休み前の混雑に紛れ、ラインの終わり近くにぶらさげられている図を見てみると、自分がだいたいどのあたりの部品をいじっていて、どのような完成形になるのかが分かった。へー、ちゃんとこんなふうにケータイになるんかー、と感心していると、さっさと作業場から出るよう怒られた。
カフカの短編「万里の長城」を思い出した。

受け持つ作業は日ごとに変わった。そのうち一番印象的であったのは、携帯電話の充電器に印字された「TU-KA」という銀文字が、かすれたり汚れたりしているものがないかを1日チェックし続ける、というものである。その日の夜は、眠る前に延々と瞼の裏を「TU-KA」が流れ続けるほど、「TU- KA」を見た。もう、あんなにたくさんの「TU-KA」文字を目にすることは今後ないだろう。いや、なくてもいいのだが。というかそもそもTU-KA自体がなくなったが。
そして1日チェックし続けた結果はというと、不具合のある「TU-KA」は一個も見つからなかった。20人体制で8時間チェックし続けてたった一個も。基本、自分が時給をもらえさえすればなんでもいいという考えではあったが、「こんなことに人件費を遣ってて大丈夫なのか?」と疑問を抱いた。

昼休みは45分。通勤中に買った甘いパンなどを食べた。気の弱そうな、無口で照れ屋のおじちゃん工員がおり、たまにこの人と会話をすることもあった。これはたのしい思い出である。仕事の規則について何か訊くと、「まあ、うるさい奴に怒られんように、適当いうこと聞いとき」と言ったのが、最初の会話だった。その人の、はにかんだような笑い方を今でも思い出せる。

それはともかくとして、昼休みは作業場の隣にある休憩室で取らねばならず、なぜか、その建物内から一歩も出ないようにと言い渡された。それまでも工場のバイトをしたことはあったが、他のところではどこでも、昼休みには工場近辺を散歩したり外へごはんを食べに行ったりすることが許されており、昼休みにも外に出るなと言われたのは初めてであった。
まるで奴隷待遇ではないか!と、少しくむっとした。
昼休みにはコンビニに行って飲み物くらい買わせろ。それに、M菱の工場内には鯉のいる池とかお花の咲いているお庭があって、わたしは休み時間にそのあたりを散歩して気分転換することを楽しみにしていたのだった。あの池や庭はなんのためにあるってんだ。
ひまなので持参した本を読んでいると今度は、フルキャストの社員に、「うわっ、読書してる! 優雅やねーえ」とバカにされた。では何をすればいいというのか? 外にも出ず、本も読まず、じっと瞑想でもしておればいいのか。

それでも、更衣室に忘れ物を取りに行くということにしてそのついでに工場内を一周してやったら、M菱の工場には工場内のそれぞれの通りに、「メロン通り」だの「アップル街道」だのかわいらしい名前が付けられており、「なーにがメロン通りだ!バカめ!」と、うらめしい気分になった。

バイトが昼休み中にM菱の機密情報を盗む、などということも考えにくいので、建物内閉じ込め政策は、M菱の要請というよりフルキャストの自主的な方針なのであろう。フルキャストの紹介する仕事は、引越しバイトを除けば、工場系のバイトと販売系のバイトのふたつに分かれており、登録時に、「向き不向きがあるからねえ」という言葉とともに、どちらを希望するかを訊ねられる。そして、工場系に回されてくるのは、性格的に接客に向かない者(対人関係が苦手・口下手・内向的、とか)や外見に難がある者(髪の毛が金や赤や真っ青・極端なヤンキーorギャルファッション、とか)が多くなるのだった。そうした難儀な奴らが、休み時間に何か悪さをしでかしたり脱走を企てたりする面倒な事態を、フルキャスト側は想定し危惧していたのであろう。一所に閉じ込めておけば管理もしやすい。

フルキャストの管理体制には、例の異様に早い集合時間設定をはじめ、「うちのバイトは厄介な奴らの寄せ集めだから、ちゃんと統率をとらねば!」的な様々の工夫が感じられた。
また、その雰囲気を受けて、派遣先の側も、バイトを雇っているというよりは、「非行少年の更正のための面倒を見てやっている」というような気持ちであったのでないかと思う。工場側の社員は、何か指示を下すと間髪いれず「言うたとおりに動け!」など、さしたる文脈なくやたら怒鳴っていたが、そこには、こっちは非行少年を預かってやってるんだからな、あー、もー、だから非行少年は! というのに似た苛立ちが感じられないこともなかった。
なお、工場内では、フルキャストの社員にも工場の人にも、名前を呼ばれるということは基本的になかった。「バイト」あるいは「男」または「女」と呼ばれた。

「まるで女工哀史ですよね」
という話を、大学の知人としたとき、知人は、
「でも、安時給で単純作業をしたり、怒鳴られたりって、学生のうちに一度は経験しておいたほうがいいよね」
と言った。
確かに、それはそうなのだけど、しかしわたしは非常に釈然としないものを感じた。いずれ大手企業のホワイトカラーに就職していく国立大学の学生にとっては「一度」の社会勉強経験であっても、ある人にとっては、一度どころか、毎日、一生女工哀史かもしれない。


その工場には数回通ったが、二、三回通うと固定メンバーの顔は覚えた。その中に、ラインのリーダーを任されている20過ぎくらいのお兄さんがいた。同じようにフルキャストからの派遣であっても、同じ現場を長く続けると僅かだけ時給が上がり他のバイトの指導者的位置に付けられるのである。

朝礼のときは、まず工場側の社員がその日の目標などを話し、次にこのお兄さんが細かな諸注意を話す。あるとき、「昨日、隣の人の香水の匂いで気持ち悪くなって倒れた、という人がいた」という話題になり、お兄さんは訴えた。

「ですので、香水は、エー、ほのかに香る、という程度でお願いします!」
朝礼は笑いの渦に包まれた。「ほのかに香る」という、この現場にも・見るからに無骨で実直なそのお兄さんにもまったく不似合いな言葉を、大真面目な顔で言ったのが可笑しかったのだった。

そのお兄さんが、ある日急に来なくなった。他の固定メンバー同士の会話を盗み聞いたところによると、20連勤でがんばっていたのだが、体調を崩して倒れてしまったらしい。
「心配だね」「気の毒にねー」「ほんとうにね」「でも自己管理ができてなかったんだよね、仕方ないよね」「自己管理も仕事のうちだしねー」
と、彼女らは話していた。

20連勤で自己管理とやらにいそしむ暇があるかどうかも謎であるのだが、あのおなじみの「自己管理」言説、社会においてたびたび都合よく振り回されるあの言説は、すっかりバイトたちに内面化されていたのであった。
なお、倒れたというお兄さんに、仕事で「何か」あったときのためだという例の「安全保障費」が使用されたかどうかは不明である(が、おそらく、いや絶対にされていないだろう)。

ちなみに、まったくどうでもいい記憶だが、このとき自己管理について話していた女性たちのうち一人は、爆笑問題太田と同級生だと話していた。昔の太田はとても暗く、学校では誰とも口を利かなかったそうだ。


フルキャストの仕事には、結局一、二ヶ月ほどで、次第に行かなくなった。それには、携帯電話を持っていないという理由が大きかった。

フルキャストの派遣システムは、携帯電話を所有していないものには仕事の確保が難しいシステムだったのだ。続けて同じ現場で働く場合であっても、一日ごとに翌日の仕事を予約しなくてはならず、次の日も仕事をしたいと思えば、その日のできるだけ早い時間に予約を入れねばならない。携帯電話を持っている皆は、工場の昼休みや終業の直後にフルキャスト事務所に電話を入れて予約をとっていたのだが、当時、携帯電話を持っていなかったわたしは、いつも仕事が終わって家に帰ってから事務所に電話を入れるので、繁忙期が過ぎると、「ごめん明日はもう仕事ないんっすよー」と断られることが多くなってきたのだった。

最後の日、仕事を終え、駅まで歩き、電車に乗って京都駅に戻ってくると、フルキャスト事務所前に置いていたはずの自転車がなかった。そして、フルキャスト事務所前の電柱には、京都市による放置自転車撤去がおこなわれたという通知の貼紙があった。

自転車は、翌日父が車で取りに行ってくれたが、わたしは、フルキャストでの日給の約半分を自転車返還費として京都市に支払った。










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