シフォン論#6 昭和64年1月8日




おじいさんとおばあさんは耳が遠くてテレビの音量をなんぼでも上げますから、縁側にひとりで座っておっても、ニュースの音声がよう聞こえる。
蝉の声にまじった、夏の夕方のニュースは、元じゅうぐんいあんふの女性が謝罪を要求して起こした訴訟は、と言うた。
昭和六十七年のこと。

何をいまさら、もうあれから五十年も経つのに、
とおじいさんが言うた。
ほんまどすなあ、なんで今になって、こんなこと言わはるんやろか。
そら決まっとるがな、金目当てやわ、
と言うおじいさんに、はあそうどすなあ、と感心したよにおばあさんは相槌打つ、古き良き夫唱婦随。

畳の目がぐるんとまわって、そんとき認識したのであった。
そうか、あたしは、そっち側であったのか。

その衝撃がおまえらにわかるでしょうか。
小学校の「平和教育」の時間には、戦争になったら戦場に送られて銃剣を持って戦わされるんですよ、と習った。そんな時代はいやでしょう。戦争反対。そうですね。でもそこでは、民衆と国家、民衆と権力、という対立項しか習わなかった。その中に別の項があって、それは♂/♀という、不気味な二項。それは、中学の校則でスカートの制服を強要されて以来主張し始めた性別化だった。
それであたしは、強姦されうる性であるのか!

後者の項に属するあたしの身体は、とりわけ戦時下においては容易に、一個の受動的な容器として流通・使用されうるらしい。
ニュースの中でおばあさんが今なお続く苦しみを訴えていた。
足元のラジカセは西暦1987年製で、そしてナイフを持って立ってた、と鳴った。



***


ニュースの中で今なお続く苦しみを訴える彼女らと同じ性別に属するのだと発見したそのときのことをわたしは鮮明に記憶している。
それまで感じたことのないこの憂鬱な卑小感は何か。
なんていうか、統合された個人としての自己評価が崩壊してゆくような感じ。

これまで性と生殖について教えられてきたのは、貴女はいつか愛する人と家庭をつくって子どもを産むのだよという、ヒューマニスティックかつ近代的なストーリー、ザッツオールであった。
でもわたしは実際は、強姦されて妊娠することができる。わたしはべつに好きでない相手、むしろ忌み嫌う相手の子どもであっても産むことができる。わたしは一個の容器である。意志だの愛だの関係なく孕みうる自分の身体がどこまで自分のものなのか。

私の子宮をして、一番深いところ、と君は表現した、しかし、他の生命体が宿る子宮の中は、果たしてわたしの内であるのか外であるのか?

***


昭和六十四年一月七日、吉田山麓。
そこにある母の母の家に、お正月から泊まっていた。
その日は母の母の誕生日であった。おばーちゃん、おめでとう、バンザーイ、とケーキ切ってはしゃぐわたしといとこたちを、母の母は笑ってたしなめた。
これこれ、そんな大きい声で。こんな日に万歳なんて言うたら、近所の人に勘違いされてケンペーさんが来はるやんか。

意味はよく分からなかった。でも、そのひとが、神様だった時代が、昔あったらしい。


前年の暮れ、テレヴィは数十分置きに、或る老人の(不)健康状態に関する情報を伝えた。
いつものアニメ番組が終わると、画面が真っ青になり、映像も陽気なBGMも消える。静謐な画面に白抜きの文字で、或る老人の脈拍・血圧・下血回数に関する情報が示される。無機質な音声とブラウン管の機械音だけ。それはまるで、世界の終わりのような、不吉なことが起こっているようでもありわくわくするようでもある、奇妙な光景であった。
ひとりのにんげんの体内に就いての情報が、電波を通じて外部へ流れ、公共に把握される。知らないひとのひとつの身体の情報を、何人ものひとたちと共有した。そのひとの身体が裏返って、内臓にこの島がつつまれている。かつて黒い雨を降らせた雲が上空を覆ったように、その身体は世間の上空を覆って、お祭りや地域のイヴェントや正月番組のばか騒ぎを自粛せしめた。

だが、われわれ子ども達の心を捉えたのはなによりも、「下血」という語の響きであった。
その聞き慣れぬ語の響きは、「下痢」とか「ゲロ」とか下品なものに通じて、なぜか子どもらには可笑しくッて、われわれの間では、意味もなく「ゲケツ!ゲケツ!」と叫んではぎゃあぎゃあ笑うのが流行したものであった。



翌年の、昭和六十五年一月。
やはり正月であったから、吉田山麓に宿泊していた。
正月番組も、もう自粛などされていなかった。
その正月に、初経を見た。
下着に付着した血液を発見したのは、母だった。
自分の体内で起こった事件に、自分自身はまるで気付かなかった。

親戚宅とはいえよその家であるのに加えて、股のあたりに感じる馴れない感覚に、なかなか寝付けない。
「なんか、オシメ当ててるみたいで、何か出てるみたいで気色悪い」と訴えると、「そやなあ、おしっこが出る感じに似てるやんなあ」と叔母が同意してくれた。
「これで子どもが産めるねんで、おめでとう」と母は、世の母親が言うようなことを言って祝ってくれた。だが実感はなかった。「産める」といわれても今すぐ「産める」わけじゃない。小学生やもん。
でもそれならいつから「産める」のかわたしは知らない。
内部が外部に裏返ったお祝いの赤飯の色は、内部の色を外部に映し出すように赤。
その色を通して、わたしの体内の情報が親族らに共有される。
だが、実際の経血は茶色ぽくて、赤飯ほどきれいな色じゃない。

白地に茶色くナプキン染めて。アアウツクシイ日本ノ旗ハ。

***


初経から三年経つが夏の生理はぢくぢくとして未だ馴れない。
ごわごわしたナプキンが汗でぺたっと尻にはりついて不愉快だ。
汗がひくのを縁側でじっと待っている。

五十年前のあの日も、こんな晴れやった。
私らはラジオの前に座って、何を言うてはるんかようは聞き取れへんかったけれど、とにかく今夜から灯りをつけてもええんやと思うと嬉しうて。
せやけど、鬼畜米英がさらいに来るかもしれんと思うて、それだけが怖かった。
そうなったら、若い女は、自決せなあかんて言われてたさかいに。

五十年前の話を、おばあさんは話す、日本語で。ニュースの中の女の人は、話している、違う言語で。
ニュースの中の女の人が涙を流す。祖母と同じ年の頃だ。
祖母と彼女とわたしは、同じ身体をもっている。同じ性を属している。だがちがう言語を話している。


***


十年後の五月三日の吉田山麓は、栗の樹の匂いが充満して噎せ返る。
吉田山麓の大学の、私たちの先輩にあたる教団弁護士が逮捕されたのは、昭和七十年の五月三日だ。
その年は、誰もがその宗教団体の話をしていた。
卒業後いわゆる左翼系の事務所に所属していた彼を、警察は、日本国憲法施行記念日に逮捕した。
きみがマルクスを学んだ学び舎には、今やコンビニエンスストアが建っているよ。

彼はマルクス主義に飽き足らず、その宗教に出会った。彼が教団内で書いた詩には、左翼運動と宗教のちゃんぽんのような言葉で、国家権力や天皇崇拝が批判されていた。民衆の阿片である、という有名なことばを、彼がどう思っていたのか知らない。でも彼にとっては転向ではなかったのだろう。教団は最終的には世界を変革することを目指していたから。だが、その前にまず、身体を変革することが第一なのだ。喫茶店で取材を受けた彼は、数ミリ四方ほどのごくごく小さな豚肉の切れ端を、丹念に丹念に避けて食べたのだという。殺生は罪であるから。
彼は罪を摂取しない。彼は外部の生命体を内部に侵入させない。わたしたちは閉じた体系になろう。わたしたちは閉じた体型になろう。侵入させず流出もしない。
わたしにはあなたの気持ちがよく分かる。
バカじゃねえの。


彼が残した豚肉がどのように処理されたか知らない。



ひどい夢を見たことを覚えている。白い服を着た女の人たちが、裁判所の前で、泣きながら何かを訴えている。とうに60や70の彼女らは、知らない言語を喋っている。しかし、だいたい、何を訴えているのかは分かっていた。私は彼女らに、豚の面を被せて追い返した。
語る言葉を奪われた(奪われうる)、証拠をすべて焼かれた(焼かれうる)、生きた証拠ごと焼かれようとした。それが虐殺者たちのやることだ。虐殺者たちがするのは、単に虐殺することでなくて、言葉と記憶ごと抹消することだ。
わたしは、奪い、焼く側に、夢の中で、立った。



にんげんの尊厳とかいうものがあるとされているが、それは自然条件や或いは誰かの一存で容易に剥奪されうる。ではしかしにんげんって何だ。
わたしは夢の中で彼女らと自分の間に壁を立て、その問いをたぶん彼女らに押し付けた。
昭和八十年五月の吉田山麓で、
進々堂の隣の席で、難しい本を広げ、ハイレヴェルな討論が闘わされている。
産む産まないの決定の権利は女にあるのか否か。法について、権利について、わたしの腹の中のことをめぐって、学生が議論している。
男のひとが、わたしの腹の中のことに就いてぎろんしているのを聴くとふしぎな感じがする。
すべてこの腹の中で起こるできごとは、誰にも共有できない出来事のはずでないか?
そんなことよりたった今痛い、この痛みや出血の不快は、わたしだけのもののはずではないか?
女は産むべきか産まなくてよいか、難しい本を前に、ハイレヴェルな議論は白熱する。
まるでわたしの内臓が、テーブルの上で広げられているように感じる。
テーブルの上にわたしの子宮を載せて、さんざんacademicに議論しろ。
わたしの腹の内部で起こることは、誰にも共有できないはずであり、痛いのも、産むのも産まないのも、わたしであっておまえではないはずであるのに、だが、わたしの外生殖器及び内生殖器は法と経済の前に開かれて、わたしの子宮に費用がかかる、その費用を何かで稼ぐ、わたしの身体の使い方が法で保護され或いは法律で規制される。


***



昭和八〇年初夏。
辰巳橋は、梅、桜、躑躅、もう紫陽花。

別の生命体が宿る子宮の中は、わたしの外であるのか内であるのか。
「そりゃあ外でしょう」
と男が言った。
しかし、何故そんなにしたり顔のおまえの、口腔は、肛門は、外界に開かれていないとでも思っているのか。

流出や摂取。内部と外部。それにこれほど混乱させられるのは女であるがゆえのこと。男性にとっては、恒常的に、内部は内部であり続け、外部は外部であり続けるんだろう。
と思っていた。だけど、ミシマユキオはみんなの前でお腹を切った。
万歳を叫んでその人の名を呼んだとき、そのひとは何処にいたのだろう。
腸が外気に引きずり出された。
内部が外部に裏返った。

して、電脳時代は、ウィニーでウィルスに感染して、私生活も公生活も個人情報も性的嗜好も、まるごとスーパーフラットな外界に流出だ。

***


初潮を迎えてしばらくは、出血のことを「ゲケツ、ゲケツ」と言ってふざけたりした。
前述のように、或る老人の末期にまつわる報道によって覚えた言葉だ。まだその報道の記憶が鮮明だったのだ。昭和も七〇年を過ぎると、もうみんな、べつのことに夢中になってしまった。






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