シフォン論#2 16歳(東山山麓/南青山総本部前)




Aへの手紙:
文体の病気も著しい今日此の頃でありますが如何お過ごしで、という懐かしい書き出して始めてみたりなんかする今日此の頃だ、文体とはしょせん、しょせんごろあわせであるといって若いひとはばかにしますよね、が、わたしにとって文体とは唯のレトリックで無かった届けたいものを狙い定めた相手に撃ち込むための必須のツールなのであった、が、ツールのはずがときおりそっちが主体になって自律的運動をはじめるのが愉快なことです。愉快、と言いたい、敢えてではない。文体の病といったけれども、文体など在ることが既にもう病なのである、なアんて話してからもう十年経って、わたしはもうじき成人になってしまう、わたしはあの頃神様だけが分かってくれればよいのだと思い定めて書いていた、が、その後にんげんと触れ合ってしまったがばかりに或る特定のだれそれに分かってほしいと思って書くようになった、が、神様だけが分かってくれればよいのだと最終的にはそう思っておくことが書くには必要なことであるとわかった、し、手紙というのはすべて神への手紙である、というのは大袈裟でありますが。


美味しいよ、せっかくだから、ひと口くらいいいんじゃないの、
太らないよぜんぜん、これくらいなら、

と同じ班の女の子たちに言い立てられて焼きたてのスポンジをひと切れ口に含んだ彼女がしかしまったく美味しそうでなく何か苦いものを口に入れたような表情で口をもごもごさせつづけているのを、隣のテーブルで見ていました。家庭科の先生がヴァレンタイン前に気を利かせて提案した、チョコレートケーキ調理実習の後。
賑やかな声の中をひとり廊下に出て行った彼女は、しばらくすると丸めたティッシュを片手に隠すように戻ってきました。それはおそらく口に入れたものを嚥下せず廊下でその中に吐き出したのでありましょう、だけれど友人たちは一向気づかず、うまく行ったね、これならカレシにあげられるね、と盛り上がり続けてる。

彼女を見ると、責められているような気がする。
ちくちくした、焦燥感みたようなものを感じるのだ。
彼女と目が合うと、あたしがこうしてせっせと苦行をしてる間におまえはのんきに脂肪だの炭水化物だの摂取したりそれを排泄したりしてるんだな、と見透かされてる気がする。
あたしを見る彼女の目はどっか誇らしげな薄笑いで、どうせ排泄物になるだけのものを咀嚼嚥下する快楽なんぞに愚かにも執着してこの愚民、と見下されている気がする。
いや彼女はほんとはそんなこと思ってない、あたしの思い込みなのだろう。第一たぶん彼女はあたしのことなど眼中にない。でも、誰かに負債を負っているようなこのきぶんは一体何なのか?

もともとは、よくあるダイエットであったようでした。
一学期の初め、ちょっと本気で始めたよ、と彼女が友達と話しているのを聞きました。
17歳ならありがちの少しむっちりした体型だったがそんなに太っているわけではなくて、でも半年の間に鉄骨のようになった。
夏休み明けには、ふっくらしたほっぺたがしぼんで、頬骨が張り出した。
最初は、痩せなよ、がんばってね、と言い、途中は、痩せたね、羨ましい、と言っていた仲間たちが、二学期には次第に何も言わなくなって、とうとう、食べなよ、と言い出しました。養護の先生が様子を見に来ました。

でも彼女は、食べない。お昼になると、お弁当の中身を捨てに行く。
空のお弁当箱を携えて教室に帰ってくる彼女の痩せた頬が、勝ち誇ってる気がする。
彼女は勝ち誇ってる気がする。わたしは食べてしまう。おかあさんの詰めてくれたウインナ、米、たまごやき。かつてわたしに乳を与えてくれたおかあさんが、栄養のあるものをわたしのために詰めてくれました。

放課後、階段のところで、用務員のおじいさんに、「あんたのような若い人は、日の丸ってどう思う?」と訊かれた。




その春、或る宗教団体が大きな事件を起こしました。
その教団の人たちは、男も女も区別のないような白いだぼっとした服を着ていました。
その教団の人たちは、食への執着は解脱の妨げとなるからと、できるだけ食べない。特に肉類は一切口にしないのだそうです。殺生の罪になるから。
修業すると、執着から解き放たれて、軽くなって、軽くなって、飛ぶことができるんです。 i can fly、と井上嘉浩は書きました。
青山弁護士は、チャーハンに入ってる小さなハムを丹念によけて食べた、と週刊誌で読みました。週刊誌は『プレイボーイ』という男性週刊誌で、その週刊誌の、アダルト・ヴィデオの通販ページで、数年前に起こった残虐な性犯罪事件を題材にしたヴィデオが出ていることを知った。
青山弁護士によけられたそのハムは捨てられて結局無駄になったのか、それとも誰かが食べてやって殺生の罪を肩代わりしてやったのか、知らない。
その教団の教祖の書いた本を読んでみました。米食が始まったとき性の分化が起こったのである、と書かれており、女として分化させられつつあることを憎んでいたわたしは、それが、忌まわしき分化、と修飾されていることに共感を覚えた。サリンを撒くのは羨ましくないけど、食と性を拒否できるのは羨ましい。わたしは結局拒否し切れなかった。ダイエットしてもすぐやめてしまった。ダイエットは両義的で、一見食への執着を断っているように見える一方で、頭の中は食のことでいっぱいになってる。わたしは重くなってる。
丹念にハムをよけて食べる信者の姿と、空っぽの弁当箱をうれしそうに抱える彼女の姿。彼らは軽くなれた。they can fly.

その教団の人の一部は連日テレビにも出たから、「ファン」と名乗る女の子が出てきました。
「ファン」の女の子の中には、その教団の人たちをモデルにして漫画や小説を書く子までいました。
わたしもそれを読んだことがあります。それは、男と男が恋人同士として愛し合う、というもので、そうしたものは当時は「JUNE系」とか「やおい」とか呼ばれていました。女性が男同士の愛を空想してたのしむ、いわば、性の分化を逃れたファンタジーでした。そして彼女たちは、その教団の人をモデルにして、めいめいにそんな自分好みの物語を捏造し紡いでいたのです。
きっと彼女たちも、彼らの中に、自分が諦めた身体像を見たに違いない。


彼女たちの捏造するファンタジーの中で、おそらく実際よりも清浄な身体を持つ彼らは、信仰の禁忌を犯して愛し合っていました。
わたしはそれを読んで、それを書いた人の気持ちがよく分かると思いました。重さのない身体を手に入れた(かのように誇っている)彼らがねたましい。だから彼らを創作の中で肉体を持つ世界に引き込んでやろう。でも彼らはあたしたちの分身でもあるから、やさしくエロティックに引き込んでやるのだ。

それは、いったん重さのない身体への憧れを経由して、穏便に重さを引き受けるところに着地しようとしていた、自分のプロセスと重なりました。
14歳のときは、軽くなって、軽くなって、飛べるようになればよいと思っていたはずであったわたしは16歳になって、そうした身体を手に入れることを諦めた。
わたしは消費に興味を持とう。わたしは、俗世に興味を持とう。あの宗教の人たちが断とうとした対象に執着しよう。でもそれは、逆説的に修業に似てた。
だってこれはパロディです。わたしたちはパロディです。お金の計算、偏差値の計算。偏差値が20上がったら志望校合格だ。朝早く起きて、受験勉強する。偏差値が直線的に上がってゆく。修行みたいだ。受験勉強しながら、ニュースを見る。毎朝、その教団に関する新しい情報が報じられる。アルバイトに行く。預金通帳の残高が上がってゆく。体重が直線的に下降するときの快に似ている。修行みたいだ。帰ってきたらまたニュースを見る。一日中ニュースに釘付けで、痩せ始める。


その教団の人が、テレヴィに出演中に、暴漢に刺されて殺されました。テレビは、血液がいっぱい流れてその人が生命体でなくなっていく過程の一部始終を、どさくさに紛れて映し出したのでした。
テレヴィの前のわたしたちは、その生命と自分を重ねる、その死体と自分の身体を重ねる。
その年、テレヴィや新聞には、日々死体があふれていました。一月には瓦礫の下から、三月には地下鉄から搬出される、教団施設から発見される、それらの死に、国民たちは、あれはともするとじぶんであったかもしれない、と、戦慄し、かつ興奮していたように思います。黒い画面。読み上げられる死者の名前のリストの中に、知った人の名が、あるいはじぶんの名があるんじゃないかと、わたしたちは意識下に期待して日がな熱に浮かされたごとくチャンネルを捻りました。痩せたかったとき、そういえば、42kgになればすべてが変わると信仰のように念じていたけれども、今にして思えば、42は「死に」に通じています。ダイエットは両義的で、身体をなくし非存在になることを目指しているようである一方で、見て見て見てこんなに痩せたわたしの身体、と主張するもので、テレヴィ・ショーの中で流された赤い血はまさにそうした両義性の体現。
しかし、チャンネルを捻りながらふと手が止まる。わたしたちは、無機質な死体のリストの向こうで、実際に流されている涙、実際に燃やされている憎しみ、実際に上げられている慟哭の声に思い至ります。それは、重い。実体をもって、重い。






東山山麓の蒸し暑い教室で、日本史の授業を受けます。
窓から見える墓地は、彼岸でもないのに人が多い。普通の墓、偉い軍人のものであるらしい厳しい立派な墓、われわれが差別してきた部落のひとたちの小さな煤けた墓。
窓辺で授業を聴いている彼女の首は、青白く筋が浮き出て細い。
瑞穂の国の、負の歴史を、授業で習った、そんな歴史が、詰まっているそんなものを、おまえはまだ食べてるのか、と言われている気がする。
体内に取り込んだ米が、臓器の中で、侵略や差別や敗戦を繰り返す気がする。

米を食べようとすると手がふるえる、と彼女は言いました。
お箸がどうしても食物を掴めない。炊飯器を開けると、米の匂いの蒸気の中から、連綿と流れるイエの歴史、女たちの歴史、流れた経血の歴史が立ち上って吐き気がします。
どこにも書かれていない母方の苗字、わたしの中の母の血と父の血が、白米に集約されている気がするのです。
それを摂取したわたしの体内から、お仏壇と神棚の前で唱えられた、おばあさんの怨嗟とも祈りともつかぬ声が聞こえます。
わたしらはお姑さんには道理の通らんことでも、はい、はい、て言うて仕えるように教えられてきましたけど、今日びの若いお嫁さんはもう、そないなこともおへんみたいで、わたしらの若い頃思い出しましたらなんや阿呆らしゅう思えてきます。毎日泣いて暮らしましたけど、何よりも悲しいてたまらなんだんは、息子を産んだときもわたしには抱かせてくれはらへんかったことどした。お乳をあげ終わったら、お義母さんがさっと取り上げてしまいはる、あんたの子と違うてこのイエの子や、て言うて。そんなときはもう、悔しいて、情けのうて。主人は男の人ですさかいにそんなこと気づきもしやしはりまへんし、かというていっそ実家に帰ったろかと思うても、帰れもせやしまへんし。わたしらの若い頃は、いうたら刑務所にいるようなもんどした。
そんな女の涙と憎しみの歴史のうえにわたしの生命があるとおもうと、
あ食道痙攣する。
綿々と流れる血縁の流れを、断ち切りたい。
喉に指突っ込んで吐きながら延々と続くファミリー。


長い階段を降りたところ広い青空の下。
一面の菜の花が風にそよいでいた。
三毛猫のるるはこの間避妊手術した。わたしはまだ摘出していない。


ウォークマンでINU聴きながら東山の坂を降りて下校する。
いまだ解放されない戦後の家庭、と町田町蔵が歌っている。

おまえらは全く
自分という名の空間に
耐えられなくなるからといって
メシばかり喰いやがって

教室で聴いた日本史の授業では、真っ赤な血の海に子供たちの死骸が浮かんでた。子弟妃妾一時に自ら経きて倶に死せましぬ。系図を断つ。お家断絶。羨ましい。
東山区はそれ自体大きな墓場です。足元に累々たる屍骸。線香の煙が空に上がり肺に充満した。やがて断絶する。
そこにはわたしの家の墓もある。わたしの「家」の墓である。わたしの「家」はM寺の檀家であるから、わたしも仏教徒であることになっている。お父さんはお母さんがこの墓に入ると思っている。お母さんはこの墓に入らないつもりである。わたしはどこの墓に入るか知らない。
おじいさんの読む新聞に書いてあることは、授業で習うこととは違う。南京大虐殺はなかった、とそこには書かれている。恩給をくれるところから送られてくる。おじいさんの恩給を、食費の足しにしています。






いや、よく分かりません……、と小さな声で答えたわたしに用務員のおじいさんは、
「そうかあ、若い人はぴんと来んわなあ、日の丸ていうてもなあ」
と寂しそうに笑いました。

炎天下の朝礼で、突然バターンと音がして見ると彼女が人形のように倒れていました。
わあわあと騒ぎながら彼女の周囲に人の輪が出来ました。さっきから教頭先生の長い話が一刻も早く終わらないかとうずうずしていた生徒たちは、予期せぬ出来事に色めき立ちました。
球体関節のような格好で曲がって投げ出された細いほそい手足。
若い男の先生が、軽々と横抱きにかかえ、人の輪から彼女を運び去りました。「無理なダイエットをするからよ、前から心配してたのに」、養護の先生が泣きそうに呟きました。

あんなふうに倒れられたらいいのに、
とわたしは思いました。
半袖の制服から伸びる、逞しい腕の、なんと厭わしいことと云ッたら。






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