『MATSUMOTO』



 



LF・ボレ、フィリップ・ニクルー『MATSUMOTO』原正人訳、Graffica Novels、2017.2

2015年、フランスのGLENATから刊行されたバンド・デシネを翻訳したもの。
巻末の、切通理作による解説によれば、原作者LF・ボレと作画者フィリップ・ニクルーは既にヒット作のあるコンビとのこと。
バンド・デシネとはフランスの漫画のことだが、日本の漫画に見られるような漫画的記号・文法はあまり見られず、彩色を施されたリアルなタッチが特徴。「マンガ」というよりも、映画を観るような印象を受ける。

二つのサリン事件に至るまでの、様々な人物の群像が描かれ、事件へと収束していく構成であるが、バンド・デシネならではのリアルな人物表現と強弱のない時間の流れが、この構成を淡々と引き立てる。どうしようもなくテロへ向かっていく過程、それによって運命を曲げられた人々の苦しみを追体験するようであり、改めて、世界的見地からも大変な事件だったのだと分かる。
最初の場面は、松本サリン事件の約一年前、オーストラリアの田舎から始まる。羊の大量死をアボリジニの子供が目撃するのである。
松本サリン事件を中心とした物語を、日本からはるか遠いオーストラリアから始めるのは、たしかに日本人には思いつきにくい構成かもしれない。
(ちなみにこの事件、記憶になかったのでネットで検索してみたところ、平成8年の警察白書に「『マハーポーシャ・オーストラリア』を設立し、同会社名義で農場を購入の上、大量の薬品類を持ち込み、化学物質を製造し、それらを使って羊に対する毒性の実験を行っていたとされている」という記述があった。wikipedia英語版には、出典がないものの「Aum tested its sarin on sheep at Banjawarn Station, a remote pastoral property in Western Australia, killing 29 sheep. 」という具体的記述あり。)

その後は、事実と想像が織り交ぜられ、架空の教団信者「カムイ」、長野オリンピック前の松本に住む、どこにでもいるような金物屋の男とその上品な妻、音楽浸りのDJ青年とガミガミうるさい母親……などの登場人物の群像が描かれる。
後者二人については、そのどこにでもある日常が、やがて惨劇に巻き込まれることを、読み進める読者は知っている。金物屋の男は家族ともども被害に遭いながら罪を着せられ、DJの青年は音楽を失うような障害を背負うことになる。前者の男のモデルは言うまでもなく河野義行氏で、巻末のインタビューによると原作者は、河野氏の存在を知り「こんなひどい目に遭いながら彼が戦ったという姿」をフランスの読者に伝えねばならないと思ったという。
信者・カムイは、教祖に疑念を抱きつつ強制的・暴力的に洗脳を受け、犯罪に手を染め、しかしそれを裏切る行動をとる役割である。インタビューでも語られている通り、カルトの問題は、IS等のテロ頻発する今世紀においてフランスでもアクチュアルなテーマなのだろう。だがその彼の告発は、事なかれ主義の警察によって黙殺され(「くだらん!マンガじゃあるまいし!」)、その帰結としての地下鉄サリン事件の場面は、わずかな擬音以外の台詞はなく、無音の映画のように描かれ幕を閉じる。まさに「目に見えないものに突然襲われる恐怖」の見事な表現だと思う。

タイトル『MATSUMOTO』は、サリン事件の舞台となった松本市と、もちろん教祖・松本智津夫のダブルミーニングとなっている。誰もがちょっと気にかかる符合だが、意外にこれに注目して書かれたものはないのでは。
本書では、金物屋の男が毎日眺める松本城がひとつの象徴として現れる。それは「光と影」や「宿命」の象徴として語られる。教祖・松本は(日本でもさんざん語られた通りの)俗物として書かれるが(たとえば神の言葉として歌った歌が明らかにビートルズの「イエスタディ」だった、という場面など――これは英語のオウム研究本として有名だという David Kaplan の本に収録されたエピソードだそうで、この人の本も読んでみたい――)、直接には表現されないその「聖」や「畏怖」の面を、松本城が代理で表現しているかのよう。

個人的に面白く思った点としては、ひとつは、村井秀夫をモデルとする(と思われる)信者の顔が、わりと分かりやすく「悪そう」な顔に描かれていること。村井氏のあのあどけなそうな表情が、オウム事件を象徴的に表すものだったと思っているので、この描き方は意外な気がした。ふたつめとしては、麻原が女性をはべらすシーンが、いかにもなオリエンタリズムというか、着物みたいなものを着て周囲で琴やら三味線やら弾いている図なのが可笑しかった。全体的にはぞんなにステレオタイプな「日本」が描かれているところはないので、一種異世界としての教団の描写なのかな。
あと、旧約聖書の文言が日本語の箴言に変えられたりとちょくちょく意訳もあるようなので、原著も気になるところ。フランス語はまったく堪能ではないのだが、どんな感じが見てみたい。



2017.3記す








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