『サリン事件――科学者の目でテロの真相に迫る』







ANTHONY T.TU 『サリン事件――科学者の目でテロの真相に迫る』 東京化学同人、2014.1

本書の著者は、ヘビ毒の研究を専門としコロラド州立大学で毒物学と生化学の講義を行なってきたという、化学者である。松本サリン事件の直後に、サリンの解説記事を雑誌に書いたことから、サリン事件と関わりをもつこととなった。
一方で読者である私は、まったく化学の素養のない者であることを断っておきたい。本書に記された中川発言によると、サリンは「大学の化学の知識がある人ならすぐにつくれる」(p.58)らしいが、「すぐにつくれる」と言われても具体的な作り方などまったくイメージできないよ!という者である。
そういった人間にも本書は分かりやすく書かれている。化学が苦手な人であれば辛い化学式や組成式も出てくるが、最大限に易しく図解されている。(「有機リンって何?」などというところでいきなり戸惑ったりもするのだが……。)

まず最初に、兵器の分類について説明されており、軍事にも明るくない者には有難い。
説明によると、兵器は通常兵器・化学兵器・生物兵器・核兵器に大別される。さらに化学兵器は、神経剤・びらん剤・窒息剤・血液剤・無能力化剤・催吐剤・催涙剤に分類される。
こうして並べると、このうち実に、神経剤(サリン、VX、タブン、ソマン、シクロサリン)・びらん剤(マスタードガス)・窒息剤(ホスゲン……江川紹子氏襲撃に用いられた)と生物兵器(ボツリヌス菌、炭疽菌)をオウム真理教は民間の団体であるにも関わらず作っていたことになり、オウムといえばすっかりトンチキなネタに成り果ててしまった感のある今日、改めてその脅威に驚かされる。
オウムの生物兵器についてはあまり話題にされてこなかったが、それは生物兵器プログラムがことごとく失敗し大きな事件にならなかったからである。本書では、オウムは当初生物兵器を重視していたが、その失敗から化学兵器に移行したという過程が跡づけられている。それとともに、生物兵器担当だった遠藤誠一の地位が下がり、化学兵器担当の土谷正実が重用されるようになった(p.158など)。

また、松本サリン事件から地下鉄サリン事件に至るまでの経緯も、科学的捜査の様子を中心に改めて辿られている。
94年6月27日に松本で事件が起こったとき、撒かれた物質がサリンと分かるのは6日後の7月3日だった。まさか日本でサリンが撒かれるとは誰も考えてもおらず、標準物質なしの暗中模索の中、その物質の正体を判定したことは「世界的な業績」であったという(p.18)。知っての通り、松本サリン事件では被害者である河野義行氏が犯人扱いされたが、河野さんが疑われる一因となった有機リン系殺虫剤ではサリンが作れない理由も、化学的に説明されている。さらに、サリンの予防薬PBや解毒剤PAM(プラリドキシムヨウ化メチル)が効く理由も組成式を用いて説明されている。
さて物質がサリンと同定された日に、米国にいた筆者は出版社から依頼を受け、サリンの解説を雑誌『現代化学』に書くことになる。(実はこの雑誌を土谷正実も読んでおり、ここからオウムのVXガス製造が着想されたという因縁が明かされている。) さらに筆者は、この記事を読んだ科警研から協力依頼を受け、米国陸軍から得たサリンの分解物についての資料を提供する。こうして警察はサリン分解物の検出方法を入手し、これが、第七サティアン付近の土壌からサリン分解物が検出されたという、翌年元旦の読売新聞のスクープへとつながるのである。
だが、この時点では強制捜査は起きず(このとき捜査していれば地下鉄の事件は未然に防げたのだろうか?)、同年3月20日に地下鉄サリン事件が起きる。松本と類似の事件が予期され解析の準備がされていたため、地下鉄の事件ではわずか2時間で物質が同定されたという。
ところで元旦のスクープの後、教団は強制捜査を怖れ、いったんサリンを廃棄したはずであった。だが、サリン製造過程で生じる途中物質「メチルホスホン酸ジフルオリド」を中川智正が隠し持っており、地下鉄サリン事件ではこの物質から再びサリンが作られた。中川は、わざと廃棄せず隠したとされていたが、本書の本人への取材によって、「わざとでなく多すぎて分解できず」隠したのだということが明らかにされている(pp.59-61)。(これも、化学の知識のない者からすると、「隠し持つとかそんなんできるんや!」と驚いてしまうのだが。)

ちなみに、オウムは、「クシティガルバ棟」で30kgのサリンの製造に成功した後、いきなり第七サティアンで大量生産を行なおうとして失敗している。著者によると、本来ならその間に「パイロット生産を行なうのが量産化の基本」であるのに、「教団は実験室規模でも第1過程は行ったことがなく、いきなりの大量製造で、はじめから無理であった」(p.68)という記述は、オウムに関する数々の無茶なエピソード――こういってよければ「怖ろしいことを企て実行しておきながらどこかマヌケ」なエピソードを思い出させ、その集団の性質がよく分かる記述ではなかろうか (教団内ではそうした無茶な指示は、「マハームドラー」として理解されていたようであるが)。

さて、本書は単に科学的捜査の経緯を解説するだけの本ではない。
本書を読んで改めて分かるのは、オウム事件はなんとなく過去のものとなりつつあるが、まだ未解決であるのだなあ、ということである。
真相の分かっていない事件(村井事件、警察庁長官狙撃事件etc)もあり、人文領域でも論ずべきことは沢山ありながら次第に忘れられつつある状況であるが、化学の観点から見てもまだ分かっていないことだらけなのであるなあ、という感慨が、本書を読んでのハイライトであった。

本書では、オウムの兵器開発・薬物製造が詳細に説明されており、サリンの製法は5過程に分けて紹介されている。ここで注意すべきは、第七サティアンでは第4、5過程は作られていないということである。よって、一般に「サリンを第七サティアンで作った」と言われているが、厳密には、それは間違いなのである。
たしかに第七サティアンには、サリンを最終過程まで生成できるプラントがあった(このプラントの写真も改めて見るとすごい、やはり化学音痴の私は「よくこんなものを作ったな!」と感心するしかない)。だがこの施設では第3過程まで作ったところで、例の読売新聞のスクープがあり、製造は停止された(その後急遽礼拝堂に偽装された第七サティアンに拵えられたのが、島田裕巳の取材で有名になったシヴァ神像である)。よって、「日本でも世界でも、多くの人はオウム教団がサリンを第七サティアンで大量につくったと思っているが、それは事実とは違う」(p.70)。
一方、科警研の報告では、「第七サティアンの第4・5過程の設備からメチルホスホン酸を検出」したということになっている。だが、稼働したことがないこの設備から、第4過程の産物であるメチルホスホン酸が検出されるのはおかしい(p.76)。これについては中川の証言から有効な仮説が立てられてはいるが、改めて、まだまだオウム事件には不明な点があるのだと思わされる。
他にも、地下鉄でタブンが使われたことを示唆する報告論文が出されていたという。これについては間違いであろうと筆者は述べつつも、「オウムの化学兵器や生物兵器についてはまだ不明な点が多い」(p.102)としている。

筆者は、死刑囚である中川智正と面会をしており、本書で明らかにされていることのいくつかは中川の話に拠っている。オウムの死刑囚との面会は至難であるということで、大変貴重な取材である。筆者は、森達也の論説を引きつつ、「日本人の研究者にも真相追究のため面会をできるようにすることは大事である」(p.142)と主張している。
面会の記録は最終章にまとめられているが、筆者と中川とのやりとりはいかにも、「科学者同士の交流」といった様子である。中川の書いた手紙、作成した資料なども載せられているのだが、よくまとめられていて大変見やすい。筆者は中川に対して、「朗らかで感じがよく明晰」という印象を記している(p.161)。
掲載されている、中川から筆者への手紙の中で、一箇所なんとも不思議な気分になる箇所があった。シリアでサリンが使用されたという疑惑について、「私が言うことではないかも知れませんが、日本にはknow-howがあるのだから調査に協力を申し出ればよいのに、と思います」(p.162)という一文である。たしかにその通りなのであるが、そのknow-howを得た(得ざるをえなくなった)そもそもの原因はあんたらではないか!とつっこみたくなるのが人情であろう。もちろん「私が言うことではない」と本人も断っていることではあるが。どこか他人事のように見えてしまうのは、実際にそうであるのか、それとも、明晰で科学的というその文章の性質によるものなのか。
本書は、全体を通して、筆者の専門から見た記述に終始しており、無駄な推論や感傷が挟まれることもなく、終始冷静な筆致であるが、最後だけが、「将来性のある息子の現状を見る親の悲しみは同情せざるをえない」(p.165)という一文で締められている。

2014.12記す








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