『破防法とオウム真理教』







滝本太郎・福島瑞穂 『破防法とオウム真理教』 岩波ブックレット、1996.4

オウム事件後、オウム真理教に破防法の適用が議論された。結局棄却され(1997年1月)、代わりに団体規制法が制定され適用されたが(1999年)、破防法が適用されていれば初の団体適用となっていた。
本書は、「オウムに破防法を適用することの是非」が議論されていた時期に刊行されたブックレット。
オウムは、1996年1月には解散命令を出され(最高裁抗告棄却)、同年3月には破産決定がなされ,た。そんな中での破防法適用は「屋上屋を重ねる」(p.9)ものでないか、というのが最初の問題提起。
滝本と福島の対話形式で進められ、破防法自体の説明については福島主導、オウムに関しては滝本主導で対話が進められている。

著者と出版社から予想される通り、破防法については当然、批判的な観点から語られている。
議論されていた当時、無知な私は何を揉めているのかすらよく分かっていなかったのだが、破防法は、1952年の成立時点から問題含みの法律であった。それが、オウムという、誰もが非難すべき「国民共通の敵」が現れたことは、なし崩し的に適用する好機だったのであろう。
(問題含みの法が行使されるときはこのような、人々の情に訴えかける、誰もが文句を付けづらい状況で行われることが多いように思う。排除が禁煙運動から始まるように。)

本書で具体的に指摘されているのは、たとえば、第五条の「暴力主義的破壊活動を行なう明らかなおそれがあると認めるに足りる十分な理由があるとき」という団体規制の要件。「おそれ」という語が捜査当局・公安調査庁の主観・偏見によって判断される危険性を伴いかねない。
そしてそもそもオウムは、破防法の適用要件に充分あてはまらないという。公安調査庁の調査書のもとになった調書も開示されておらず、オウムの破防法代理人が「それじゃ宗教じゃないか」と言ったというブラックユーモアも紹介されている。

また、「扇動罪」という形で表現の自由を侵害している破防法は、それ自体が憲法違反であるという点も指摘されているが、それに対して滝本は、「ただ憲法違反だから反対では説得力がない」(p.39)と述べ、オウムと長年関わり信者の脱会を助けてきた者の立場から、破防法を適用すべきでない理由を述べる。いわく、

・破防法を適用しオウムが地下に潜ってしまうと、信徒との話し合いやカウンセリングのチャンスがなくなる。
・予言通り宗教弾圧が起こったとされ、反発心が強くなる。
・元信徒の社会復帰が困難になる。
・元信徒と現信徒との対話は、脱会に効果のあることだが、それができなくなる。元信徒の手記等も出しにくくなる。
(p.48)

すなわち、破防法を適用することで逆にオウムの思想が生き残ってしまうということを、破防法適用に反対する最大の理由として掲げ、対談は締められる。

ところで、当時の雰囲気を思い出させる点として印象的なのは、福島が破防法を否定しながらも「しかしオウムは許せない」ということを繰り返し強調する点である。当時、たしかにこうした、何を発言するにもエクスキューズとして「勿論オウムは憎い」「オウムは共通の敵」ということをいちいち言わねばならない空気があったように思う。
「破防法は適用すべきでないと思っているのですが、その一方で一抹の不安もあります」(p.34)という発言などは、当時の「市民感情を代弁した」発言なのであろう。麻原が法廷から逃走犯に呼びかけ、再びテロ事件が起こるのではないか、と(もしかすると期待半分に)言われていたものである。これに対し、滝本は、オウムや麻原をよく知る者として、そんなことは起こらないと答えている。「麻原は(法廷で)、私はやっていません、せいぜい弟子がやったんでしょう、ぐらいしか言わないと思います」。実際の公判は、その予想以上の様相であったわけだが。

2014.12記す








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