片山洋次郎『オウムと身体』





日本エディターズスクール、1995.11



(↓2003.1 の読書メモより)
オウムの信者の書いたものなどを読んでいると、彼らの信仰が「(身体的な)体験」に裏付けられている場合が非常に多いことが分かる。修行によって「神秘体験」をする→「私は神秘体験を確かに体験した」→「そしてそれはグルによって導かれたからだ」→「私はグルを信じる」という論理である。だが、それは一見筋が通っているように見えて、実は飛躍である。
オウムが話題になった当時、TVなどではよく「麻原は本当に空中浮揚ができるのか」という議論が交わされた。オウム幹部と反オウムの間で、「あれはトリックだ」「トリックじゃない」「あれは超能力じゃない、誰でもできる」「いや、超能力だ」という論争が交わされた。だが、これは本質的な議論なのだろうか?とよく思った。
よしんば、麻原が空に浮けてかつそれが「超能力」であったところで、何故それが、彼の教義を信じる理由になるのか。ここのところが私には実感として理解できなかった。たとえば、私は逆上がりが出来ないので、逆上がりが出来る人を見ると「すごい!」と思うし、その人に教えられて逆上がりができるようになったら感謝するとは思うが、そのことと、その人の教義を尊敬し信奉するかということは全く別問題である。なぜ、オウムの「体験」と「信仰」はそんなに密接に関わっていたのか? 実際にオウムで修行すれば分かるのか? この疑問のもとに、二冊の本を読んだ。一冊は、実際オウムで体験修行を行なった大泉実成『麻原彰晃を信じる人びと』、もう一冊は、「身体性」をテーマに据えた片山洋次郎『オウムと身体』である。


(以下、2012.3に記)

本書は、「気」の専門家が、身体性をテーマとしてオウムについて論じた本である。
事件当時、「なぜ人はオウムに入信したのか」ということがさかんに語られたが、意外にも「身体」をど真ん中のテーマに据えたものは少なかったように思う。高校生であった私は当時、ダイエットにはまっており、ダイエットの感覚を通して、この感覚はオウム的な修行の快楽の一端につながるのではないかと感じていた。よって、オウムについて考えるには「身体」という視点は外せないのではないか、「身体」の専門家ならオウムについて何を言うであろうか、という興味からこの本を読んだ。

本書ではまず、現代に特徴的な身体のあり方を「過換気症的」な情報社会であるとしている。実際の症状としての「過換気」がなくても、「常に何かをしなくてはいけないという感じ」に追われている社会である。こうした社会での鬱積状態を一気に発散できる空間が「ハルマゲドン」であった。同年の阪神大震災で若者ボランティアが生き生きとしたのも、そこに発散空間を見出したからでないかとされる。

これをふまえてオウムの修行の特徴が考えられ、「シャクティーパット」などおなじみの修行が「気」の概念によって説明される。
過換気状態の不安定さから抜け出す方法としては、身体からのエネルギーの発散という方法と、身体内にエネルギーを集中させてより高い興奮状態を作るという二つの方法があるが、オウムの修行は後者のスタイルばかりを取り入れたものであるという。そして、オウムで起こった超常体験というのは、気的には「普通の反応」であり、「空中浮遊」も神秘体験ではなく当たり前のことなのだという。片山氏は、現代人があまりにも身体に対して無知なために、普通に起こりうる様な体験を「神秘体験」であると勘違いしてしまったことが、オウム信者の失敗であったとしている。

 #それらが起こるメカニズムに就いては、別冊宝島『隣のオウム真理教』での片山氏の対談に詳しい。
 # しかし何故「神秘体験」が「信仰」につながったのか、というのはやはり疑問のままだが。

またオウムの修行がエネルギー的には「拒食症・過食症」状態などに近いという点は、わたしが個人的に非常に納得できたところ。わたしのダイエット体験もまた、「常に何かをしなくてはいけないという感じ」に追われてのものであったから。


次に、本書で最も面白く読んだのは、2章の「体癖からみたオウム」。
「体癖」とは、野口晴哉という人の始めた野口整体の概念で、身体の癖を10種(+2種)に分ける分け方を言う。
どの腰椎がその人の身体の中心になっているかによって、さまざまな体の傾向が決まるらしく、かつ、それは、その人の心理的・性格的特徴と関係があるという。

この「体癖」によってオウムという組織が分析される。オウムの主要男性幹部は、6種が多いという。6種は「呼吸器圧縮型」。胸にエネルギーがこもりやすく過換気を起こしやすい現代的な体癖であり、「神秘体験」にも親和性がある。そして、オウムを批判する「オウム・ウォッチャー」の側(江川紹子、有田芳生、滝本太郎、小林よしのりetc)にも6種が目立つ、彼らは正義感以前に潜在的な領域でオウムに反応しているのではないか、という指摘が面白い。

また、上祐・青山らは6種1種混合型であり、ふわふわとした6種になんでも理屈で割り切りたがる「頭脳発散型」の1種が混じり、不安定であり、そのため、その不安定さを包み込むカリスマ性をもつ2種7種(頭脳圧縮型+泌尿器圧縮型)の麻原に惹かれたのでないかと筆者はいう。その他、麻原の資質や教義も、その体癖から説明されていく。
他、女性幹部は10種が多い、男性でも村井は10種、土屋正実は幹部の中で唯一の修行に向かない過敏体癖(気が集中しやすいが発散もしやすい)であるという指摘も、なんとなく分かる気がする。

「気」といえばドラゴンボールのイメージくらいしかなかったわたしには、「なんとなく分かる気がする」程度で、これらの分析がどの程度妥当なのか判断できないのだが、しかし当時オウム論の中に、「身体について納得のできる発言がぜんぜん出てこなかった」(本書で著者と対談しているN氏の発言)という状況の中で、ひとつの興味深いアプローチであると思う。



付)
ちなみにこの「体癖」という概念は、なんだか面白い概念で、最近気になっています。
「精神現象は体から来ている」という考えではあるが、「すべてがこれで説明できる!」というほどの還元主義的な権威性は感じないし、他の、精神現象を説明しようとする分野(心理学、脳科学、遺伝学etc)をどう考えているのかもよく分かりません。(そこが面白い。)
「体癖」について詳しくは、野口春哉著『整体入門』(ちくま文庫)『体癖』全2巻(全生社)片山洋次郎『身体にきく―「体癖」を活かす整体法』(文藝春秋)などを参照。本書にも、各体癖の特徴を図入りで解説した付録がついています。本書では、芸能人を例に挙げるなどして、わりとポップな感じで解説されています。
整体のプロの人は、ちゃんと骨を見てどの体癖かを調べるようですが、素人の私は、「ああ、あの人理屈が好きだし1種か2種か」「私、片付けられんから3種かな」と占いのように楽しむのみ…。ちなみに私はたぶん、3種6種混合型の過敏体癖(自己診断)。







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